チェルノブイリ・フクシマ なさけないけどあきらめない

チェルノブイリ・フクシマ なさけないけどあきらめない

2021年7月24日

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「チェルノブイリ・フクシマ
なさけないけどあきらめない」

鎌田實 朝日新聞出版

「日本チェルノブイリ連帯基金」を設立し、ベラルーシに20年間で医師団を94回派遣し、約14億円の衣料品や医療機器を支援してきた、諏訪中央病院名誉院長の本。「マルに近いサンカクを探る」と題した、現状への彼の意見と、3月から5月までの日記と、鎌田先生とは意見の異なる三人との対談の三章から構成されている。

鎌田先生は、きっちりとラインを引くのが得意ではない。本当は、放射能は全く浴びないほうがいいと思うけれど、それが無理なら、せめて浴びないように気をつけて生きていくしかない、と言われる。丸に近い三角を見つける、とはそういうことだ。だって、放射能の危険を完璧に防ごうとしたら、福島の産業は壊滅してしまう。福島の人たちを助けたい、福島の農産物も食べたい。チェルノブイリで、おばあちゃんが作ってくれるキノコ料理を、怖いと思いながら、でも、これ位なら大丈夫だ、と食べてしまう鎌田先生なのだ。人には、薦めないけれど。

鎌田先生のぶれ方が、私にはよくわかる。共感できる。私も、原発の問題の危険性を書こうとするたびに、それが、どんな影響をおよぼすのか、風評被害に繋がるのではないかと躊躇した。それでも、やっぱり、危険だと言いたい私がいる。丸に近い三角。とても、難しい。

3月から5月の日記は、あの日々をもう一度思い出させる。東電も、政府も、御用学者たちも、嘘ばっかりついていた。

 原発を批判する人たちがいろいろなことを言ってきた。それを非科学的といって、政府や原発推進の人は一蹴してきた。自信も津波も日本の原発は心配ない、とたくさんの科学者が言ってきた。科学という言葉をふりかざしながら、違う考えの意見を聞かなかった。「全電源喪失なんてありえない」と、議論の余地なしとしてきた。
「科学的」ってなんだろう。

(3月21日午前7時20分)

原発の誘致には巨額なお金が動く。それに政治や経済界、学会が、見えないシンジケートを組む。透明性の高い国づくり、町づくりをしないといけない。
怒ってはいけない、と自分に言い聞かせる。なさけない。なんでこんな国になったのだろう。みんな、お金お金。もっと大切なものがあるはず。家族、ふるさと、自然、美しい海、たくましい大地、コミュニティーの絆、みんな壊してしまった。放射能が壊したのは健康だけでない。地域の絆を壊した。これからも、こんな生き方をつづけていいのだろうか。

(4月4日午前7時00分)

20年間、チェルノブイリに通いながら、いちばん反省しなくてはいけないものは何かと考え続けてきた。「情報公開されなかったこと」。これに尽きる。

(4月26日午前7時00分)

上記引用はすべて「なさけないけどあきらめない」より。

福島原発に関する民間事故調の委員長に就いた北澤宏一氏は、新聞記事によると、こう語っているそうだ。

「一人ひとりは正直で善良な市民なのに、全体では無責任でコントロール不能」という印象を受けた。正義より組織の論理を優先する気質が、安全面を軽んじる背景にあったとみる。
「ここを解明して学ばないと、これから日本は危機に陥る」

(朝日新聞「ひと」欄 2011 12 26 より引用)

やっぱりそうだ、そうなのだ、と改めて思う。
もう、こんなことは繰り返してはならない。正しい情報公開と、企業利益や経済性よりも優先すべき大事なことを、その場の空気に負けずに主張する勇気と力を、私たちはみんな、持っていかなければならない。
私は、心から、そう思う。

2011/12/27