友だちは無駄である

友だちは無駄である

2021年7月24日

「友だちは無駄である」佐野洋子

「うわっ、すごい題の本だねえ」と息子が驚きました。佐野さんって、そういうことやってくれます。「私はそうは思わない」とかいう本もありましたっけ。この人の題の付けっぷりは、きっぱり、はっきり、おっとこまえー、です。

どうもこの本は、子どもを読者に想定しているらしい。んで。先に書いちゃいますけど、友達は、無駄じゃないんですね。だって、この人、ものすごく友達に支えられてる。間違いなく支えられている自分をはっきり書いている。

この人がすごいのは、人が人をいじめたり差別したり、いやらしい心持ちでいることすべてを認めてしまって、わかってしまって、それでいいのだと受け止めてしまって、それでも、絶対に譲れない自分を持ち続ける強さを感じさせるところだ。

作品中で、たぶん谷川俊太郎だと思われる人物とずっと対談しているのだけれど、こんなくだりがある。

>「意地の悪い人好きなの?」
「私好きみたいね。
私ね、友だちで、いやなところがない人と長続きしないの。いやなところもひっくるめて、やっと人格として認めるって癖あるみたい。リアルが好きなんだよ。」
「でもそれは相当変わっているよ。」
「そうかな、いやなところ見ないふりするの偽善じゃないの?」
(「友だちは無駄である」佐野洋子 より引用)

こういうの、すごくわかる。共感する。私に同じだけの強さがあるかどうかは怪しいけれど、いやなところを見つけて、それもひっくるめて、だからこそ、好き、というのが友達なんだと思うし、そのほうが、安心する、というのは、ある。仲良くしなさい、とか、誰にでも好かれる子になりなさい、みたいなきれいごとじゃなくて、いやなところもそのまんま、受け入れてくれない人はそれで全然いいから、ひっくるめて好きになる人が一人でもいたら、それが、友だち。そういう関係のあり方を、オトナは、子どもに求めないよね。でも、そっちの方が、ホントなんだと、私は思っちゃう。

2007/10/10