145 筧裕介 ライツ社
「認知症のある方が実際に見ている世界」がスケッチと旅行記の形式で解説されていて、わかりやすい!ととても評判のいい本。認知症の人たちが陥る症状を、どうしてそうなるか、本人はどう思っているのか、を丁寧に描き出している。
そうなんだよね。視界から消えたとたんにそのものやことを忘れてしまうとか、注意を集中するのが難しいとか、あっという間に時間が経ってしまうとか、人の顔が見分けがつかないとか。ここに書かれていることはすベて、私のなかにもあって、ああ、あるある、と思ってしまうから恐ろしい。全部、私のなかにある事ばかりで、いずれ、そういうことがどんどん増えて前面に出て、私はそうやって老いていくのだな、と心から思う。
そうなんだけど。正直に言おう。この本を読んで、新しい発見は、ほとんどなかった。認知症に関わる本を何冊か読んだり、資料を調べたりということを山ほどやった経験があるからかもしれないけれど。「そうだったのか!」「やっとわかったぞ!」みたいなものはない。父が認知症になったからかもしれないし、母も最近その入り口をうろつき始めているし、自分自身の中にもあるものだからかもしれないけれど。自分にとって、オンタイムの切実な問題であるからこそ、だけれど。
思い出せば、出産後、何もできないけれど要求だけはしてくる赤ん坊という生命体と散々付き合わされた。その存在を邪魔ともうっとおしいとも迷惑だとも思わずに何とか生存させ続け、その内面で何が起きているのかを常に想像し、本人にはこう見えているのだろう、本人はこうしたいのだろう、でも現実にはこんなことになっちゃうんだよなあ、だからこんな風に手助けしよう、あるいは、見守ろう、なんてことを、どれだけ長い期間やってきたか。改めて思い出す。認知症の人と日々付き合うのは、実はそれにとても似ていて、だから、怖がったり、うっとおしがったり、気味悪がったりすることもなく、そのまんま受け入れて、なんとかやっていくしかない。だって、それは私自身でもあるから。なので、それを改めて「実はこう見えてるんですよ、こう思ってるんですよ」と解説されてもあんまり目新しくないのだ。そんなこたあ、わかってるつもりなんだけどね、と言いたくなる。
逆に、ここに書かれていることを読んで初めて気が付くという人は、きっとうぎゃうぎゃ言ってるだけでうごめいているだけの赤ん坊と長期間、毎日べったり過ごしたりはしたことがないんだろうなあと思うし、自分の中に、そういう訳の分からない怪しげな部分を実感していないんだろうなあと思う。なんか外側にいる人みたいな感じ?自分の生活に、こういう困りごとは普段全然なかったので、理解できなかった、ということ?きっと男性だろうなあ、と思ったらやっぱり男性作者だったので、ああ、これってセクハラ的発言かしら。偏見だわね、わかってるけど書いてしまった。すまぬ。
いや、この本を否定しているわけではない。これを読んで、そうか、認知症ってこういう風に世界が見えてるんだ、と思う人が増えたら、認知症に対する社会の理解が進んできっといいだろうと思う、意義深い本だと思う。でも、今、目の前に老いた母がいて、これからもっとどんどん今より老いていくんだろうなあという想像の中で、自分が何をできるんだろうと、本当に途方に暮れている私。そんな私には、いまこの本を読んでも役に立つものはあんまりないし、こんな風に解説されて初めてわかった人は、認知症の人を我がこととして必死にわかろうとする時間をすごしたことがないんじゃないかと思ってしまう。
なんだろう、この気持ち。小さな赤ん坊をそれこそ自分の体に縛り付けられたように日々育て続けて、自分の時間なんて一秒もないじゃないのと日々思い続けながら、それでも大事なわが子を必死に育てた経験をどうしても思い出す。それと同じじゃないの、と思う。我がことなんだよ。自分自身の目の前に突き付けられて、体感すること。そこでは必死に理解するしかない、わかるしかない、わからなくても何とか受け入れるしかない、そんなことばかり。老人介護もそれと同じで、経験の中でわかっていくこと、理解することが多くて、よく言われる通り育児の上で育児書が実は全然役に立たないみたいに、この本も、介護の上で別に役に立たないんじゃないか。この本の意義は、介護と遠く離れたところにいる人にわかってもらうことであって、現場のただなかにある人に何かをくれるものではないんじゃないかと。
なので、まさしく今、老母と向き合って、途方に暮れている私には、なんだかなあ、という思いが先に立ってしまう本なのでありました。認知症なんて全然自分と関係ない、と思ってる人は、ぜひ読んでみて。きっと少しはわかるから。でも、その中にずっぽりはまっている人は、「そうなんだよなー、知ってるよ。それで?」になっちゃうような気がする。それとも、それは、私だけ?今現在、認知症の家族と向き合いながら、「そうだったのか!」って思う人も、いるんだろうか。いたら、ごめん、どうか教えて。