いないいないばあや

2021年7月24日

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「いないいないばあや」神沢利子 岩波少年文庫

子供の頃、私は、大人ってなんて子どものことが何もわかっていないのだろう、といつも驚いていた。上っ面のことしか見ないで、本当の事が全然わかっていないのに、それに気が付きもしていない。そんなら私は、私だけは、子どものことがちゃんと分かる大人になろう。そう何度も思ったものだった。

そう思ったことだけは、未だによく覚えているのだけれど、やっぱり子どものことなんて全然わかっていない大人になってしまった。うまくは行かないものだなあ。ただ、時々、何かのきっかけで溢れるように子ども時代の感情を思い出すときならある。全く有意義でも何でもなく、ただ、そのときの自分の気持ちが、ありありと思い出されるだけなのだけれど。

「いないいないばあや」は「流れのほとり」の前の時代の物語だ。神沢利子が樺太に渡る前、札幌で幼年時代を過ごした頃のお話。まだ小学校に上る前の子どもの視線で書かれている。読んでいたら、いきなり、だーっと溢れるように、私自身の幼かった頃の気持ちが思い出されて、ちょっと驚いた。詳しい状況とか、人間関係などは全然覚えていないのだが、そのとき、どんな色の服を着ていたかとか、何を思っていたかとか、そういう断片的な記憶が次々と浮かんでくるのだ。

床の上に鏡をおいて、上から覗き込んだこと。天井が別の世界のように思え、まるで海の底にいるような気持ちがしたこと。急に怖くなって、そこら辺のものにつかまったこと。姉の持ち物が羨ましくて、こっそりと触ってみたこと。四角いつみ木の角がゴツゴツ、ざらざらしていたこと。

鏡を覗きこむエピソードはこの本の中にも出てきたが、状況は全く違ったし、兄弟の話もたくさん出てきたけれど、同じような場面ではなかったというのに、読みながら、いろんなことが次々と頭のなかに浮かんでは消えていく。これって、どういうことなんだろう?と不思議だった。

なにか明確なストーリーがあるわけではない。ただ、幼いころの思い出を、時系列を辿って描いただけの作品である。だが、そこには幼いころの心持ち、まだあまり経験のない者だからこその世界の捉え方、不安な思い、世の中に不思議がたくさんあった頃の感覚がそのまま描き出されているのかもしれない。私は、それに触発されたのか。

結局、私は子どものことがわかる大人にはなれなかった。だけど、自分が子どもだったことは、忘れていない。せめて、それだけは覚えていようと思う。神沢さんは、きっとちゃんとそれを覚えている人だ。

2015/9/25