デラックスじゃない

デラックスじゃない

2021年7月24日

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「デラックスじゃない」マツコ・デラックス 双葉社

 

率直であること、口を慎まないこと、それでいて人を傷つけないよう繊細な心遣いも同時に感じられること。だから、マツコ・デラックスが好きだ。
 
なにか言われた時のこの人の才気煥発な返しには時として圧倒される。変わった人、どうしてもはみ出してしまう人への、苦笑を含んだ眼差しは、他の誰にもないほどの優しさに満ちている。これまでの彼女(彼?)の人生がどれだけその魂を磨いてきたのかと想像するだけで胸が熱くなる。
 
昔から、はみ出し者が好きだった。自分に正直であろうとすればするだけ、周囲から浮いてしまうような存在が気になって仕方なかった。自分自身の中に似たようなものを感じていたからかもしれない。こんなに市民権を得る前から、ゲイにシンパシーを感じていたし、いわゆる変態と言われる人たちの気持ちがわかると言っては友人に気味悪がられたりもした。変なフェチのある人、変わった趣味嗜好のある人が他人とは思えなかった。今もその傾向はある。誰にも理解されないような人が、気になって仕方がないようなところが、未だに私にはある。
 
マツコ・デラックスという人は、本来は、その典型の一人である。自分らしく生きるために、いろいろなものを諦めたのだろう。人から受容されることが困難であることを知りつつ、そんな自分を受け入れ、許し、認め、そのままで生きようと決意し実行してきた人なのだろう。けれど、最近の彼女は愛され、認められ、受け入れられている。としても、そんなのは、差別されているからこそ許されているのだ、と彼女ははっきり自覚している。だって、所詮オカマだよ。女装だよ。デブだよ。と、これ以上ないあからさまな言葉で書いている。
 
マツコ・デラックスは、今まで、幸福感というものを持ったことがない、という。そのことを脳科学の先生に話したら、「もともとあるはずだったDNAが1つないと、幸福を感じないように生まれてしまう。そういう人の典型的症状が肥満」なんだって。こういう人は、お腹がいっぱいになると、「満足感を得た」と知らせるモノが脳から分泌され、一瞬の間だけ、幸福感を感じるらしい。そのために食に走るという。
 
               (引用は「デラックスじゃない」より)
 
実は、脳科学者とのその会話を私はたまたまテレビで見ていた。その言葉にひどく胸を突かれ、居心地が悪くなったのを覚えている。しあわせって、一体なんだろう、とその時にすごく考えこんでしまったのだ。
 
最初から、幸福を感じる要素が脳の中から欠落しているとしたら、どうしようもないじゃないか。でも、それって、一般論で言ってるだけで、マツコの頭のなかを検査したわけじゃないものね。ただ、私の経験上感じたことがある突き抜けるような幸福感というものは、思い返せば、恋人との時間や子どもとの時間の中にあったから、そういうものを最初から諦めるところにマツコの本質があったのであれば、やっぱり幸福感を見つけるのは困難なものになるだろう。そんなふうに思って、呆然としてしまったものだ。
 
彼女の存在感は今現在、この日本においてかなりのパワーを持っている。多少こすられすぎたというか、弱化している面は否めないが、おそらくまだまだ彼女は支持され愛されていくだろうと確信できる。ただ、そのことと、彼女の持ち続けるであろう大きな孤独感、欠落感には、何の関連性もない・・・・かもしれない。つらい。
 
そんなマツコ・デラックスを、私はずっと見続けていきたい。ある種の、共感を持って。

2015/11/9