バルカンの花、コーカサスの虹

バルカンの花、コーカサスの虹

2021年7月24日

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「バルカンの花、コーカサスの虹」蔵前仁一 旅行人

下の子が生まれたのは16年前の冬。どこにも行けなかった私は、小さな赤ん坊を抱いてこたつに潜り込みながら「旅行人」という雑誌を繰り返し繰り返し読んだ。毎日毎日、ひたすら乳飲み子に授乳しながら、頭のなかだけで世界中を歩き回っていた。

雑誌「旅行人」で、世の中にはバックパッカーという人たちがいて、いつ帰るとも明日はどこへ行くとも決めずにあちこちを旅して歩いている、と私は知った。日本で数ヶ月必死に働いてお金を貯めれば、アジアの国々を数年間は旅して回れる。それは夢の様な自由だと思った。沢木耕太郎の「深夜特急」や猿岩石のヒッチハイクの旅も好きだった。だが、「旅行人」に載っている情報は、さらに生の、すぐそこにある、誰もがその気になれば手に入れられ、明日にでも旅立てるような実感にあふれたものだった。宮田珠己やグレゴリ青山などの作家を知ったのも、「旅行人」の連載からだった。彼らの旅行記はほんとうに楽しかった。

「旅行人」を作っていたのが、この本の作者、蔵前仁一である。この雑誌はもう廃刊になってしまった。「あの日、僕は旅に出た」にそれまでの経緯が書かれている。

この本は、蔵前さんがいつか行ってみたいと思っていたバルカンやコーカサスの国々を、奥さんの小川京子さんと旅した記録である。

宮田珠己やグレゴリ青山はエンタメノンフの系統の人なので、読み手に何らかの読み応えなり面白がらせるポイント絞って書いている。だが、蔵前さんは、「旅行人」の編集者であるから、情報を伝えることが一番の基本にあるのかもしれない。何を感じ、何を得たのか、よりも、まず、旅行のための正しい役に立つ情報を伝えようという姿勢が見て取れる。だが、だとしても、この本は、その端々に、蔵前仁一という人間の姿が表れて、面白い。

印象深い一節がある。

 バルカンの旅に限らないが、旅に出る前はこの地域について実感をともなったイメージを結ぶことができなかったが旅を終えて少しは具体的にイメージできるようになってきた。もちろん旅をしたからといって、何もかもが理解できるわけではない。むしろ、何がわからないのかがようやくわかるようになったといったほうが正しい。行く前は、参考になる本を読んでも頭の中に入ってこなかった知識が徐々に理解できるようになり、地名を聞けばそれがどこにあるかわかるようになる。人々の姿や暮らしが具体的にイメージできる。僕にとってはそれが大切なことなのだ。  
            
             (引用は「バルカンの花、コーカサスの虹」より)

旅をするとは、そういうことであると思う。そこに住まない限り、わからないことはたくさんある。たかだか数日間滞在したからといって、その土地を理解したなんて考えるのはおこがましい。だが、少なくとも、その土地のイメージは分かる。人々の暮らしが想像できる。それも、実感をともなって、だ。

大事なのはそこなのだ、と思う。自分の中にある何かがその土地と繋がったという感覚。それができることで、その土地が、地球の一部が、無関係のよそ事ではなくなっていく。そういう場所が増えれば増えるほど、心や思いも広がっていく。それこそが、私たちの生をより豊かなものにしていってくれるのだ、と私は思う。

2014/8/31