太宰治と旅する津軽

2021年7月24日

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「太宰治と旅する津軽」小松健一 新潮社

 

高1の夏休みに、太宰を何でもいいから読んで感想文を書けという宿題が出た。「走れメロス」しか読んだことがなかったので、それ以外の作品を片端から読んで驚愕したのを覚えている。こんなに自意識過剰でわざとらしくて「構ってちゃん」で自己陶酔的な作品ばかりなのか、と。
 
正直言うと、私自身、自分というものと付き合いかねている時代の真っ最中でもあったので、こういった自己憐憫的感情に半分巻き込まれかける感覚もなくはなかった。だが、これに陶酔する少女とか嫌だよなー、と頭の右上の方あたりで恥ずかしい気持ちになる自分がいた。この宿題をきっかけに太宰にのめり込んでいくクラスメートなんぞがいると、気恥ずかしいというか、やめとけよ、と思ったものだ。女癖が悪くて、すぐに死にたがって、ひとに評価されたくてたまらないのに、それを隠したがりもする。みっともねー、と思った。よく考えればその年頃の人間なんてみんな似たようなものなのだけれどね。
 
それから、太宰というとなんとなくネガティブなイメージを持ち続けてきた。が、津軽の人は、太宰をほんとうに大事に思っている。つくづく感じ入った。彼は誕生日に死んだそうだ。三鷹の禅林寺では彼の命日に桜桃忌が行われるが、太宰治記念館では生誕祭を行うんだそうだ。「生まれて、ありがとう」の横断幕を張るという。それを聞いた時、胸を突かれる思いがした。愛されているんだな、太宰。
 
思えば太宰が死んだのは39歳のときである。若造じゃないか、と今では思う。おばさんに相談してくれたら良かったのにね、止めてあげたのにね、なんて傲慢にも思ったりもする。別に誰も求めてないのに、まあ、そろそろ許してやろうか太宰、なんて考えてみたりもするのだ。太宰ファンが聞いたら激怒するだろうが。
 
青森を旅して、その旅があんまり良かったので、図書館でこの本を見つけてつい読みたくなった。写真集だから「見たくなった」というべきかもしれないが、写真家が結構思い入れの強い文を書いているので、やっぱり「読む」でいいのだと思う。
 
見たことがある場所も、見たことがない場所も載っていた。津軽という場所に吹く風や緑の濃さ、波の激しさを思い出して、意外なくらい胸が一杯になった。太宰はこの場所で生まれたんだね、育ったんだね、と思う。もっと生きてりゃ良かったのに。この世はこんなに美しいのに。中年になり、老年になってこそ、見えるものもあったろうに。いやあ、死んじゃ駄目だよなあ。
 
おばちゃんは、やっぱりおばちゃんなりの感想しか持てないのであった。

2017/6/8