ラブという薬

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2021年7月24日

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「ラブという薬」いとうせいこう・星野概念 リトルモア

星野概念は、精神科医にしてミュージシャンでもある。音楽仲間のいとうせいこうが、ある時から星野概念のカウンセリングを受けるようになった。本来、カウンセリングは親しい者同士では行われないものなのだが、いとうせいこうと星野概念は仕事の現場でしか関わりはなく、プライベートな会話を交わしたこともほぼなく、親しいというほどの間柄でもなかったので成立したことだったという。

そもそも、精神科医はカウンセリングの中身を公表しない。守秘義務があるからだ。私は精神科医でもある北山修の著作を好んで読むのだが、彼は自分のクライアントの話を一切しない。匂わせもしない。本当はその話が聞けたら、どんなに興味深いだろうと思うのだが、そこは彼の意思としての倫理が完璧に確立しているので、望むべくもない。

だが、この本は、クライアントであるいとうせいこう自身が、カウセリングについて語ってほしいと望んで対談している。そのため、かなり自由に会話が行われている。カウセリングがどの様に行われ、いとうせいこうがそこから何を受け取ったのかが見えてくる。会話はそこにとどまらず、様々な分野に飛ぶのだが、それがまた興味深い。いとうせいこうの「国境なき医師団を見に行く」についても突っ込んで語っていて、あの本に感動した私は、再度それを振り返る機会を与えられた。「相手の立場に立つ」「声の小さな人にも耳を傾ける」ことの大事さを改めて思った。

承認欲求は中毒になるということについても語られていて、少し考えてしまった。私がこうやって読んだ様々な本についてブログで書くのも、きっと承認欲求が為せる業なんだろうと思う。感想を寄せてもらうととても嬉しくなるのも、承認欲求が満たされたからこそだろう。だが、承認欲求だけがどんどん前面に押しされると、衝動的でむき出しの本音が持ち上げられるようになってくる。ネットの世界で今起こっていることが、それだ。こんなにみんながむき出しの欲望をあからさまにして、それを持ち上げる傾向は、ネットがない世界には見られなかったことだ。自分だけがきちんとルールを守るなんて損だ、とか、自分より我慢していない奴らが許せない、みたいな言動がもてはやされることに、うそ寒いものを私は感じる。深く考える、ということがないがしろにされていく。脊髄反射的な言動が承認され、持ち上げられていく。それが怖い、と私は思う。

「ラブという薬」という題名は、対談を始める前から決めていたのだという。なんか、軽いよなあ、とも思うが、気持ちはわかる。私も、この年になっていまさら、なんだが、若い頃なんかよりもずっとラブというか、愛というものの強さや価値に気がついた。お金じゃないのよ、愛なのよ、といい歳したおばちゃんが思うのである。心から、思うのである。結局、大事なのは愛なのよ。愛は、薬になる。そういう意味で、この題名に、私は賛成である。

2018/10/14