旅なときどき奇妙な匂いがする

旅なときどき奇妙な匂いがする

2021年7月24日

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「旅なときどき奇妙な匂いがするアジア沈没旅日記」 

宮田珠己 筑摩書房

 

即買いが決まりの宮田珠己氏の新作。
 
彼が妙な足の痛みに困っていることは、何年も前から知っていた。激痛というわけではないのだが、右足がヒリヒリして、熱いような冷たいような変な感覚。幾つもの医者に見てもらい、様々な検査をしたが、結局は、「気のせい」みたいな診断しかもらえない。彼はこの症状に「ペリー」を名をつけ、ペリーと戦うために、旅に出た。
 
ストレスがどうもいけないらしい。リラックスしていれば症状は軽い、らしい。
 
旅作家である彼は、長いこと、人とは違う旅、希少な旅をしなければならないと考えていた。そして、それを書くことが彼の仕事だった。
 
だが、ペリーと対峙して、彼は本格的な旅をするストレスを逃れるために、もっと本格的ではない旅をする必要性に迫られた。そして、ただただ非日常性を味わうためだけの旅をすることで、ペリーから逃れることを画策した。
 
この本には、どこへ行って、何をしたということよりも、どんな気分だったか、が中心に描かれている。夫が「詩人が詩作に行き詰まると、『詩とは何か』って詩を書き出すじゃない。あれに似てる。」と評していた。なるほどね~。
 
宮田珠己はデビュー当時から読んでいる。すっとこどっこいな彼の感じが好きなのだ。だが、彼自身はすっとこどっこいでありながら、極めて繊細な部分も兼ね備えてしまっている青年である。そこんとこと、うまく折り合いをつけながら危うい綱渡りをしているような感覚が、この本ではかなり表面に出てきている。
 
以前に彼のトークショーでファンらしき女性が感極まったような質問をしたことがあった。宮田氏の著作に啓発されて、旅を始めたら、日常に戻れなくなってしまったという。いつまでもこんなふうにぶらぶらしていても仕方がない、と、地道な生活に戻ろうとするのだが、やっぱり退屈になってしまい、また旅に出てしまう。止め時がわからない。でも宮田さんはいつの間にか旅をやめていた。どうやってやめたんですか、と。
 
そりゃねえ、ぼくもおとうさんですからねえ、子ども育てなきゃいけないし、学校もあるしねえ、お金もかかるし・・・みたいなことを彼は苦笑しながら言いかけていたが、話の途中でいきなり「そうなんですよね、やめどきって難しいですよね、分かります、わかります」と真顔で言った。
 
私は結構それに胸を突かれてしまった。彼女の質問は、ある意味では人生の決断なり判断を本の作者に丸投げするようなワガママな発想も垣間見え、かつ、バックパッカーにありがちなありふれた悩みのようにも感じられ、「あーあ、そんな質問しちゃって」と正直、辟易する思いで聞いていた。だが、宮田氏はそんな質問を真正面から受けとめて共感を示した。その受け答えに、彼の中にもある何か大きな問題に触れた、そんな感じがしたのだ。
 
そのやりとりと、この本に何らかの関係があったとは特に思わないのだが、宮田氏の中にある惑いのようなものが集まってこの本が出来上がったのだろうとは思う。詩人が詩について書いちゃうのは、行き詰まって、その中で思い切り惑っているからだ。その結果としてまた別の方向に歩いて行けたりするものだし、宮田さんの本だって、きっとそういうことなんだろうなあ、と思う。そして、それってすっごく文学っぽいことだよね、と思う。
 
宮田珠己、文学者になるのか?おい、大丈夫か?と、ちょっと思う私である。

2015/1/13