ヘタウマな愛

ヘタウマな愛

2021年7月24日

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「ヘタウマな愛」蛭子能収 新潮文庫

 

「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」が好きである。この番組を知ったのは割と遅くて、たぶん見始めたのは4~5年前ではないか。決められた時間内に、スタート地点からゴール地点へ路線バスだけでいく、それだけの旅番組である。途中、太川陽介・蛭子能収コンビから、羽田圭介、田中要次コンビへと出演者が変わったが、いつの間にか、また太川・蛭子コンビが復活し、今は両コンビがそれぞれに旅を続けている。それというのも、新コンビには、何かが足りない。たぶん見ている人みんながそう思ったから、また旧コンビが復活したのだろう。
 
路線バスだけで旅をするというのは、合間にバス路線がないところがあったり、ダイヤが間遠であったり、様々なハードルがあって、それをいかにクリアするかに見どころがある。そういう意味では新コンビのほうが若々しくて、バスのないルートを無理やり歩いてつなげてしまったり、動き出したバスに走って追いつこうとしたりとダイナミックな展開が楽しめる。だが、旧コンビにあって、新コンビにないもの、それが蛭子能収なのである。
 
蛭子能収は、唯一無二の存在である。あらゆる忖度、世間体を超えて自由でマイペースの塊である。たとえ目的完遂から遠のこうとも、歩きたくないときは歩くのを嫌がり、パチンコ屋を見れば入りたがり、ゲストのマドンナにぎょっとするような言葉を平気で口走り、地元の人がどんな郷土料理を勧めようと、焼きそばやカツ丼をチョイスする。そんな蛭子さんを抱えて四苦八苦しつつなんとか前へ進もうとするリーダー、太川陽介。そのコントラストこそが、この番組の要ともなっている。
 
路線バスの番組を見るまでは、私は蛭子能収を、ヘラヘラした変なおっさんで、下手くそな絵を描く漫画家であるとしか認識していなかった。だが、この番組を見て、この人のむき出しの人間性に驚き、呆れ、そして最後には感動すらしていたのだ。もしかしたら、人は誰もが心のなかに、一人、蛭子能収的なひとを隠し持っているのかもしれない。それをそのまま前に出す彼の凄みと言ったら。ただ事ではないのである。
 
この本は、そんな蛭子さんの亡き奥さんへの愛が綴られた本である。自分の親や、非常にお世話になった人のお葬式ですら、ヘラヘラしてしまい、我慢できずに笑ってしまうような蛭子さんが、妻の死を前にして、ずっと何日も泣き続けたという。蛭子さんのあらゆるわがまま、非常識をすべて笑って温かく許し、聖母のように包み込んできた妻との出会いから別れまでが、ものすごく率直な文で書き綴ってある。もう、文の間から、愛が溢れているのである。
 
ところが、最後にしれっと、再婚したいから、今後一切前の妻のことは口にしない、と宣言するのである。蛭子さん、そこがまた、すごいのである。
 
路線バスの旅の最新作で、衣装を褒められた蛭子さんは「女房が全部選んでくれるだけだから」と笑顔で語っていた。今の女房とも、仲良くやっていらっしゃるらしいぞ。何よりである。

2019/10/25