一号線を北上せよ

一号線を北上せよ

2021年7月24日

119

「一号線を北上せよ ヴェトナム街道編」沢木耕太郎 講談社文庫

 

夫がベトナム旅行用に買った本。ベトナムの国道一号線は、南のホー・チ・ミンと北のハノイを結んでいる幹線道路だ。著者がその道路を北上した記録がこの本である。
 
この三連休に金沢へ行った。予め新幹線の指定券を買っておいたのに、例の台風騒ぎで北陸新幹線が臨時ダイヤになってしまった。行きの切符はそのまま使えたが、帰りの列車はダイヤから削られていたため、みどりの窓口で一時間近く並ぶはめになった。が、それでも指定券が手に入っただけでもラッキーだったのだと帰りに知った。自由席はとんでもない混雑になり、乗降の手間のために列車が遅れるほどだったのだ。
 
行きの車内で、この本を読んだ。どこかへ行く時に、たとえ行き先が違っていても、旅の本を読むのは臨場感があって楽しい。ましてや9月に行ったばかりのベトナム話だったので、すっかり浸ってしまった。二人、三人乗りが当たり前のバイクが道に溢れ、クラクションを鳴らしまくって走るベトナムの喧騒が懐かしく思い出された。
 
沢木耕太郎の旅のそもそもの発端は、飛行機の墜落事故で痛めた背中や腰が、バスに揺られたらもしかしたら回復するのではないか、という突拍子もない発想からだった。なので、一号線の北上は、バス旅が基本である。町について、気に入ったらしばらく滞在し、納得したら、また北上する。こういう旅のスタイルは、大変だけれど、自由で楽しい。思いがけないところで、1600年代初め、徳川幕府がキリシタン禁制を決める前にベトナムにあった日本人街の墓地に出会ったりする。
 
ハノイについた彼は、ロバートキャパの写真にあった墓地を訪ねようと、苦労に苦労を重ねてナムディンという村に行く。だが、どこを探しても、その墓地は見つからない。仕方なく諦めて、また苦労してハノイに戻り、泊まっていた「ホアビンホテル」に帰ろうとバイクタクシーを頼むとひどく高い値をふっかけられる。仕方なくミニバスに乗り込んで眠ってしまうと、なんと「ホアビン」というかなり離れた町まで連れて行かれてしまい、また戻るのに大苦労する。
 
この失敗談を笑いながら読んでいた私だが、なんと金沢で似たようなことをやってしまった。香林坊という場所から、にし茶屋町に出ようとして、なぜかどんどん離れ、幸町という場所に出てしまったのだ。どうやら曲がり角の角度を読み違え、方向が変わっていたらしい。苦労して、もう一度バスに乗って香林坊に戻り、やり直しとなった。その後も、まち自転車という200円で30分自転車乗り放題システムに感動して自転車を借りたら、兼六園脇の急坂を延々と登ることになって、200円払ってただただ重い自転車を押して運ぶだけだったり、まあ、色々と失敗した。沢木耕太郎の失敗を笑ってばかりはいられないものである。
 
だとしても、こうした失敗も含めて旅は楽しいものだ。沢木耕太郎の本を読む度に、私は旅に出たくなる。知らない場所で、自分が名前を失ったような感覚に陥ったときに、旅は始まる、と彼はいう。日常からかけ離れた場所で、自分の背負ったものが全部軽くなった感覚。私も、それがすきだから、遠くへ行きたい、と思う。旅に出たい、と願う。

2019/11/5