世代の痛み

世代の痛み

2021年7月24日

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「世代の痛み 団塊ジュニアから段階への質問状」上野千鶴子 雨宮処凛

中公新書ラクレ

はーこさんから教えていただいた本。はーこさん、ありがとうございました。

団塊の世代の上野千鶴子と団塊ジュニアの雨宮処凛の対談。頑張れば報われる、という言葉を信じて頑張ってきた団塊の世代と、どんなに頑張っても一定の人は報われないとしか思えない世代の団塊ジュニア。その二者が思いの丈を語り合っている。

先日、映画「リンドグレーン」を見たあと、友人とつくづく語り合ってしまったのは、「これじゃ若い子たちは結婚するわけがない、ましてや子どもを産もうなんて思うわけがない」という社会に対する絶望であった。この本で語られているのも、同じようなことであって、少なくとも団塊の世代は将来に夢も希望も持てたし、子どもを生む元気もあったが、団塊ジュニアは頑張ったっていいことがないと体感してしまっていて、子どもを生み育てることに夢も希望も持てないということだ。そんな中で、どうやって生きていけばいい?それは、実に切実な問題である。

ウーマンリブからフェミニズムへ。女性運動はそれなりに頑張ってきたけれど、結局女たちは未だ虐げられ、更に苦悩は増している、としか思えない。確かに女性の就業率は増えた。女性も男性に肩を並べて働くようになった。だが、家に帰ればお腹をすかした子どもと家事が待っている。下手すれば年老いた親も介護を待っている。子が熱を出せば、当然のように母親が仕事を休み、だから女に仕事は任せられないと言われ、家事を手伝ってと夫にいえば、お前はおれほどに稼いでいるのかと言われる。男が女より稼げるのは、女が負の部分を請け負っているからだし、家事を引き受けるために仕事に男ほどのめり込めないからだというのに。少し子どもの面倒を見ればイクメンと男はもてはやされるが、どんなに育児に頑張っても女は一つも褒められない。男も育児休暇を取るようになりつつあるが、女性側では密かに男たちの「取るだけ育休」不満が膨らんでいく。ちょっと買い物を手伝ったり、たまにおむつを変えて育児を手伝ったつもりの男たちが、スマホ片手に「おれの昼飯、まだ?それにしてもこの家、なんでこんなに汚いの?おれ、育児手伝ってるのにさ」とうそぶく。頼むから仕事に行ってくれ、と願う女たちも増えている。

結婚なんていいことあるわけない。そんな家庭を見て育った子たちは更にそう思うにちがいない。家庭さえ持たなければ、女たちも働ける、自由でいられる、子を育てずに済む。こんな世の中にしたのは誰だ、と暗澹たる思いになる。私達が結婚したときは、まだ、ここまでひどくはなかった気がする。なぜ、ここまで。上野千鶴子も責任を感じてらっしゃる。私もだし、あなたもだし、でも、一番いけないのはお前たちだぞ、といいたい相手は、のうのうと政界にのさばっている、と私は思う。

もはや信じられる価値観などない、と上野千鶴子は言う。あるのは信じられる人だけだ。でも、そんな人もたまに信じられないことをやる。とりあえず信じる、やけくそで信じる、しかないという。だとしても、私には、まだ、信じられる人がいるから、だから生きているのだと思う。そして私も信じて貰える人でありたいと思う。やけくそでいいから。この先に希望なんてあるとも思えないけれど、それでも頑張って生きて欲しい。子供を生むことも、きっといいことがあると思う。なぜなら、私にとって子どもは希望だったからだ。希望で有り続けてほしいから、だから一生懸命育てたのだから。それもまた、無責任な発言のひとつなのかもしれないけれどね。

面白かったけど、結果、暗澹たる思いになってしまった本であった。あーあ。

2020/2/3