世間とズレちゃうのはしょうがない

世間とズレちゃうのはしょうがない

2021年7月24日

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「世間とズレちゃうのはしょうがない」養老孟司 伊集院光 PHP

養老孟司先生も、伊集院光も大好きだ。この二人がタッグを組んだら、面白いに決まっている。前日、伊集院のラジオに養老先生がゲスト出演されていたが、受け答えがかなりゆっくりで、お年を召されたなあ、とつくづく感じた。でも、この本では、養老先生は生き生きとなさっていて、まだまだ自然の中を駆け回って昆虫を追いかけそうだ。先生、長生きなさってください。

東大名誉教授の養老孟司が、対談も終盤に近づいてしみじみと、高校中退の伊集院に「それにしても君は理屈が立つなあ」というのには笑う。ふたりとも頭でっかちで、世間でどう言われているか、よりも自分の理屈のほうが大事な人達で、だからこそ、世間と外れちゃうし、そのズレが人生や仕事の原動力にもなっている。同じように頭でっかちを自覚している私は、だからこそこの二人が大好きだ。

世間とズレちゃうからといって、じゃあ他者には冷たいか、というとそんなことはない。彼らには生命全般への、だからこそ世間の人々に対しても、基本的な暖かさ、信頼感のようなものが根底にある。命への敬意とでも言うのだろうか。それが、安心感となる。呼んでいて心地よい。

散々解剖学をやって、科学に生きる養老先生が、お骨を実家にお返しに上がるとき、骨がカタカタ鳴って「ああ、骨が喜んでいるんだな」と思う、それが矛盾しない心の持ちようが、素敵だと思う。こんなふうに年を取れたら、と思うお見本のような養老先生である。

2020/11/4