人工水晶体

人工水晶体

2021年7月24日

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「人工水晶体」吉行淳之介 講談社

「人工水晶体」とは、白内障の手術で眼内に挿入するレンズのことである。自前の水晶体を破砕して吸出し、代わりに人造レンズ(人工水晶体)を挿入する。この本は、1985年に出版されている。吉行淳之介が、自らの白内障手術の経過を描いたエッセイが収録されている。

私は、この本が出版されてすぐに購入したのを覚えている。内容は殆ど覚えていないが、本の装丁から表紙から、外見は全部覚えている。だから、本棚を探せばすぐに見つかると思っていた。私自身の白内障の入院、手術の間中、家に帰ったら、吉行の「人工水晶体」を読み返そう、と思っていた。それで、本棚を端から探しまくったのだが、ついに見つからない。仕方がないので図書館に行ったら、なんと保存庫から引っ張り出して来てくれた。一世を風靡した吉行淳之介、今は保存庫住まいか。

読み返してみてわかったのだが、1985年当時、人工水晶体の手術は、まだ始まったばかりの最先端の技術だったらしい。吉行が手術を受けて、たいそう具合がよろしいと書いたために、彼の主治医はその後引っ張りだこになったようである。今じゃありふれた手術になったのにねえ。

白内障手術の話だけで本が一冊できるわけがない。というわけで、この本は、その他にも彼の病気にまつわるエッセイがいくつも収録されている。白内障手術よりも以前の話ばかりだ。戦後間もなくの結核手術の話とか、彼の持病であるアレルギーや喘息の話など。は、まだいい。その他に熱心に書かれているのが、性病の話である。そう、吉行は遊郭通いが大好きで、不倫の話もいっぱい書いていたものねえ。(没後に、正妻、事実上の妻の二人はおとなしくされていたが、二人に内緒だった第ニの愛人が暴れていたのを覚えている。いろいろお忙しい人だったのよね。)

例のゴム製品は好きじゃないから使わないけれど、実は病気になるんじゃないかといつもヒヤヒヤしている小心者である、なんて自虐的に書いている。つまりこの方は、自分が病気を移されることは心配したけれど、相手の女性が妊娠するとか、自分が相手に病気を移すんではないか、という心配は一切なさらなかった、ということがよく分かる。

文士の鏡みたいに言われてもてはやされて、文学とはかくあるべし、みたいなことを言っていたけれど、恋愛相手のことを親身に心配することもなければ、人として尊重することもなかった人なのだなあ、と読み返してつくづく思ってしまう。だから、保存庫に入れられちゃうのよね。愛人に、小説のいくつかは、本当は私が書いたんだ、なんて言われちゃうのよね。もう、古い過去の作家になっちゃったのね。病気の情報も、古びていたし、たしかにこの本は、もう保存庫で眠っていればよろしい、と思っちゃった。うちにあるはずのこの本、見つからなくてもまあいいや。とは言え、やっぱり文章は非常にお上手で、読み始めたら最後までぐいぐい読めちゃうのは流石でありました。

私の受けた白内障の手術も、いつか古びた話になるのだろうなあ。

2019/2/25