日本人は何を捨ててきたのか

2021年7月24日

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「日本人は何を捨ててきたのか」鶴見俊輔 関川夏央 ちくま学芸文庫

ここ三冊の読書順は絶妙だった。「愛なき世界」は、他の人がどう思おうと、誰にどう評価されようと、自分が好きなものを大事にして、それを真摯に追求する姿は美しい、ということが描き出されていた。それに対して、「彼女は頭が悪いから」は、世間的に価値があるとされるものを手に入れさえすればすべてが許されると勘違いをし、自分がどうありたいかとか、何を大事にしているか、なんてことは全く考えもしない人間の愚かさを描いていた。そして、次にこれである。

「鶴見俊輔伝」でこの人がすっかり面白くなった。この本は1997年と2002年に行われた関川夏央との対談である。対談と言っても、関川夏央はほぼ聞き手に徹し、鶴見俊輔の言葉を引き出す役目を担っている。

鶴見俊輔は、自分は悪人であった、ということをどの本でも繰り返し語っている。その根源には、母親に叱責され、折檻され、否定され続けた子供時代がある。14歳にして女性と半同棲して、何度も自殺を図り、お前と刺し違えて死ぬ、と母親に言われたそうだから、なんとも壮絶である。

彼は日本の知識人とされたが、現実には日本においては小卒でしかない。いくつもの学校を渡り歩いては放校され、最後に米国に渡ってハーバードを卒業した。戦争開始による交換船で帰国後、軍隊に送り込まれ、英語やドイツ語が出来たから、敵のラジオ放送を傍受して新聞を作るという仕事に携わったが、身分的には単なる小卒の扱いであった。彼は、そこで学歴のある者より小卒の上官のほうが、ずっと理性的であったり正しい判断をするし、部下を殴らないことに気がついたという。後年、京大や東京工業大学、同志社大学などで教鞭をとったが辞職、自らは小卒であるといい続けた。明治の英雄の孫であり、有名な政治家の息子であり、アメリカの難関大学を卒業した経歴を絶対にひけらかさず、一個人として生きることに徹し、自分は悪人である、と常に心に置くことを自らに課していた。

そんな彼は、東大の一番なんてろくなもんじゃない、と言う。一番であるということは、教師の提示した正解をそのまま受け入れて暗記して見せることに過ぎない。そうでなければ一番にはなれないのだから、という。彼が敬意を置くのは市井の一個人である意思を持った女性であったり、獄中にあってなお誇りを忘れない、他国の詩人であったりする。本当に賢く強くある人間とは何か、尊敬するべき人間とは誰なのか、を学歴や経歴や地位から完全に切り離して見るその姿勢に、私は共感する。

とどのつまり、何に価値があるか、を決めるのは他者ではない。学歴も、地位も名誉も、他者が規定するものである。それらに全く価値がないとは言わないが、少なくとも自分がどの様に生き、何を選び、どのように行動するか決定するのは自分であり、何が正しく大事なことであるかを決めるのも自分である。そして、自分が定めたことに真摯に立ち向かう人間は、誰がどの様に評価しようと、美しいものである。

そんなことを、このところ読んだ三冊を通じて私は改めて考えた。良い順番であった。

2019/3/23