勘三郎伝説

勘三郎伝説

2021年7月24日

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「勘三郎伝説」関容子 文藝春秋

のっけから尾籠な話で申し訳無い。
朝、トイレで用を足した後に、いつも思い出す。

勘三郎が、フジテレビの取材で、がんの手術前に、
「汚い話でごめんなさいね。ほんと、今朝もさあ、お見せしたいくらい立派なものが出ちゃってね。元気なんですよ。」

と語っていたのだ。
それをいまだに毎朝思い出す。
もう、亡くなって二年近く経つというのに。

幼い頃からずっと近くで勘三郎を見続けていた随筆家の関容子が、彼の伝説になるような思い出を語った本。
勘三郎ファン歴が長い私には知っている話題も多かったが、改めて文字で読むと、また新たな感慨がある。

海老蔵が勘三郎に教えを求めたのだけれど、別荘のあるアリゾナに行く予定があったので、アリゾナまで習いに来るならね、と言ったら、翌日、航空券をひらひらさせながらもう一度頼みに来たという話。勘三郎はとても嬉しそうにその話をしたという。若い人に芸を伝えることを楽しみ、喜んでいたのだなあ。

海老蔵さんの「追善口上。」
「私が飛行場に着きますと、私ごときをお兄さんがアストンマーチンを運転して迎えに来てくださっていました。翌朝、すごい早い時間に起こされて、このおうちではこんなに早くからお稽古を始めるのかな、と思っておりますと、午前十時にはゴルフの予定が入っていらしたのでした。で、お帰りになると、まだ日が高いうちからもう晩酌が始まって、それが夜遅くまで続きまして、また早朝からお稽古が始まるわけでございました」

勘三郎の睡眠時間は極端に短かったという。稽古に励み、舞台に立ち、本を読み、たくさんの人と会い、酒を酌み交わし、芸を教え、新しい企画を考える。常に全速力で走っているような人生だったのだろう。

勘三郎はこんなことを言っていたという。

「この間、テレビを見てたら、アスリート百人に、必ず金メダルが獲れるけれども一年後には死ぬ、という薬があったら飲みますか?という質問をして、七五パーセントの人が飲む、と答えているのにはゾッとしたね。そのために魂を売り渡してるわけだものね。」

この部分を読んで、私は「シークレット・レース」を思い出した。勘三郎もそのクスリを飲んでいたのかもしれない。芝居の神様に魂を売り渡して、寝る暇も惜しみ、休む間もなく人生を全力で駆け抜けた。

どうしても忘れられないし、いつまでも悲しい。あまりにも早過ぎる死だった。もっと彼の芝居が見たかった。残念でならない。

(引用はすべて「勘三郎伝説」より

2014/8/27