古今盛衰抄

古今盛衰抄

2021年7月24日

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「古今盛衰抄」田辺聖子 文春文庫

最近度々乗車する新幹線車内用の文庫本。歴史上の人物をひとりずつ取り上げて描いているので、途中で読み止め易いし、いつでもどこでもちょっとだけ読めて便利だった。

登場するのは、スサノオ、卑弥呼、持統天皇、小野小町、紫式部、後白河院、淀君、井原西鶴、松尾芭蕉・与謝蕪村・一茶、喜多川歌麿、樋口一葉、桂春団治。なかなかバラエティに富んだメンバーである。

個性豊かな、時として評判の悪い人物も取り上げているが、田辺聖子の視線は常に暖かい。中でも淀君に対して

実を言うと、私は淀君という女人なくして女を語れないというほどに、彼女がこのもしいのである。

と最初の方で断言し、かつ、最後にもう一度、

私は、淀君が好きである。  (引用は「古今盛衰抄」田辺聖子 より) 

と繰り返しているのが印象的であった。私自身は、自分の血筋だけを尊び、誰の子ともわからぬ子を二度も生んで豊臣家を破滅に追いやった彼女が以前から不気味でならなかったのだが、田辺聖子の文章を読むと、不思議と愛すべき女性に見えてきてしまうから不思議である。時代に翻弄されながら、火の中で母子掻き抱いて無様に死ぬ、女にしかできない死に方・・・つまりは生き方をした彼女をそのまま受け入れ、肯定する田辺聖子にあっぱれと言いたくなる。ごめんよ、私はまだまだだったね、と頭を垂れたくなる。

やさしい、子ども好きの俳人と見える小林一茶が、どんなにひねこびた嫌な爺だったか、にもかかわらず、彼の残した句がどんなに美しく温かいものだったか、も描かれている。そのコントラストに呆然とする。そう、人は矛盾した存在である。美しい作品を残したクソいやらしい作家は他にもたくさんいるものね。そんなことを、しみじみ思ってしまった。

後白河院は、それにしてもつくづくと過剰な、ちょっとイッちゃった人であったのだなあ、と思う。三十三間堂だって過剰すぎるものね。異様なエネルギーなしには作れない。彼の今様ぐるいは凄まじいものだったという。天皇の血筋には、こんな大天狗もいたのだ、と平成の最後に思う私である。

田辺聖子は暖かく、愛情にあふれている。この人の書いたものを読むたびに、私は自分が少し良い人になったような気持ちになれる。

2018/11/30