坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ

坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ

2021年7月24日

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「坂東三津五郎 歌舞伎の愉しみ」坂東三津五郎 岩波書店

「天才と名人」の長谷部浩さんが編集をなさっていて、あの本にもたくさんの引用がされていた。派手で見栄えの良い勘三郎とちがって、地道に伝統を受け継ぎ、長い歴史の中で培われてきたものを丁寧に次の世代に伝えようとまじめに努力を重ねてきた坂東三津五郎。こういう方がいてくださったからこその歌舞伎である。

なんとなく舞台を見ているだけだった私には、知らないことだらけの本であった。例えば「髪結新三」では、新三が人の恋人の娘をかどわかして大親分に迫られても馬鹿にするばかりで返さないのに、長屋の家主に叱られると返さざるをえない。その前提には、すべての訴えごとは家主を通じるし、人別帳も家主が預かっていて、追い出されたら無宿人は生きていけないシステムがある。

というように、様々な歴史的背景や前提がわかっていないと、歌舞伎の物語は十分には理解できない場合がある。勉強しないとつまらないのでは観客は困るだろうけれど、知っている方がより楽しめることはたくさんある、と三津五郎ははっきりと書く。誰でもじゃんじゃん楽しんじゃってください、というだけじゃなくて、歴史の重みや深みも大事に引き継ぎたいと彼はいう。それは大事なことだ、と私も思う。

勘三郎と三津五郎が踊っていると、フジテレビとNHKが踊っている、と言われたという。勘三郎と三津五郎の芸風の違いって、たしかにそこにある。勘三郎のほうが受けは良かったけれど、三津五郎みたいな人がいるからこそ、歌舞伎が歌舞伎で在り続ける面もある。それを忘れちゃいけない。

踊りの話も実に興味深い。「藤娘」も「鷺娘」も「道成寺」も大きく分けると一曲は4つの部分に分かれるという。「出」の部分は「つかみ」なので、お客をまずつかむ。それから「クドキ」に入って、気持ちを見せて心を表現する。それから「手踊り」で、心よりもとにかく体を使って、リズムに乗って、動きの面白さを見せ、最後の「段切」できちっと収める。そんなこと、誰も教えてくれなかった。舞踊家の吾妻徳穂は「藤娘」は自分が日本で一番の美女だと思って踊れ、と指導したそうだ。なるほどなー、と感心した。そんなことを読んでいたら、踊りが見たくてわくわくする。でも、もう三津五郎の踊りは見ることができない。

自分はスタンダードを守っていくことが使命である、と三津五郎は書いている。伝統は、誰かが守ってくれる、と人任せにしてはいけないものだ、と。この人の後を継ぐ者は、ちゃんといるのだろうか。

2016/6/29