夏の災厄

夏の災厄

2021年7月24日

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「夏の災厄」篠田節子 角川文庫

コロナ騒ぎでカミュの「ペスト」が読まれている、と新聞にあって、それならボッカチオの「デカメロン」もあるよね、あれのほうがエロもあれば笑いもあって、気分が落ちなくて済みそうだね、なんて夫婦で話した。その後、某所でその話をしたら、それなら篠田節子の「夏の災厄」がある、デフォーの「ロンドン・ペストの恐怖」がある、と教えられて図書館に行ったら、どっちもありましたとさ。

この本は、作者があとがきで書いているように、ヒーロー不在のパニック小説だ。日本脳炎に似た、恐ろしい感染症が、ある日ある街に蔓延する。それを抑え込むまでの物語。勇気あるジャーナリストも、良心的で有能な研究者も崇高な精神を持ったボランティアも登場しない。ただ、否応なく現実に向き合うしかなかった人、文句を言われても感謝されず、落ち度を指摘されても成果は認められず、仕事だから投げ出すわけにもいかず、最後まで前線にとどまって収集をつけるしかない立場の人しか出てこない。つまり、これが現実である。今の社会そのものである。そして、それに身につまされる。

みんな、あんなに怖かった原発のことだって忘れた。あんなにひどかった津波のことだって、年に一回しか思い出さない。コロナのことだって、政府の無策に腹を立てても、もう、諦めの境地にそろそろ入ろうとしている人が大勢いる。政府のやり方を批判していると、「それは官邸に個人的に言えば?もう、コロナの話なんて飽きたわ」なんて嫌がる人が、既にたくさんいる。みんな、喉元すぎれば忘れるどころか、まだ喉にどっぷり浸っていてさえ、面倒なこと、怖いことはどこかへ置き去りにしたがる。そうじゃないと、毎日生きていけないからね。平穏な暮らしである、と思おうとする、これが普通だと受け止めようとする。精神のバランスを取るための賢いやり方なのかもしれないけれど。

こうやって、私達は、あの無能な、役に立たないどころか、害悪を垂れ流す、政治を私服化する人に、国を任せてしまったのだな、と思う。こんな事態に、何もできないあの人を、この期に及んで許し認める人が大勢いる。その現実を見極めた上で、私達は、今を、この国を生きなければならない。面倒がられたり、嫌がられたり、うるさがられたりしても、間違っていること、正しくないこと、害になることに、NOを言う勇気を持ち続けるしか無い。どうか、事態が変わりますように。祈るような思いで、日々を過ごしている。

2020/3/12