夜中の電話

夜中の電話

2021年7月24日

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「夜中の電話 父・井上ひさし 最後の言葉」

井上麻矢  集英社インターナショナル

井上ひさしに対しては、複雑な思いがある。そのことは、以前に書いたことがある。彼の作った演劇は深く心を打つものが多く、残した言葉は真実をついている。だが、その反面、彼は、なぜ?と思うほど身近な人々に酷薄な態度を示す人でもあった。また、本人の残した年譜と公の記録にはいくつもの齟齬が指摘されている。経歴に何らかの改変が加えられているのでは、と疑念を提示した資料を、私はいくつか読んだ覚えがある。

この本は、井上ひさしの三女、麻矢さんが書いている。糟糠の妻、好子さんとの離婚後、井上ひさしの芝居を専門とするこまつ座の経営は長女の都さんに任された。が、何年か後に都さんはその職を解かれ、三女、麻矢さんが代わりに引き継ぐこととなった。井上ひさし氏の死に際し、長女、次女は臨終に立ち会うことも許されなかった。麻矢さん自身も十五年間確執が続き、最後の最後に和解ができたと書いている。最後のときに立ち会えた唯一の娘として姉たちに伝えられるようにすべてを記憶しようと必死になった、と麻矢さんは書いている。

ガンを宣告され、抗ガン剤治療が始まった頃から、井上ひさしは麻矢さんに夜中に電話をかけてくるようになった。三十分だけ、と言いながら、その電話は長時間に及び、時には朝までかかることもあった。その電話によって父から残された言葉がこの本になったという。そこには、父への思慕と感謝と尊敬が満ちている。だが、これはなんだろう、と私はやっぱりどこかで思わずにはいられない。所々に登場する家族のエピソードが、恐ろしく冷酷で自分勝手で恐ろしく感じられてならないのだ。

離婚後、程なく新しい家族を持った父親は、けじめをつけるため娘達と一線を引いた、とこの本には書かれている。だが、その時、まだ麻矢さんは十代半ばだった。新しい恋愛の中で生活に困窮していた母、新しい家庭に夢中で、残していった子どもたちの方を向かない父。たとえ祖父母がいたにしても、子どもたちは親に捨てられたとしか思えない。実際、麻矢さんは自律神経失調症になり、外出が困難になったという。だが、父親であるひさし氏は、そんなことを知ろうとさえしなかった。

麻矢さんは、井上ひさしに面と向かって、「子育てに失敗した」といわれたことがあるという。後に、「君たちを否定しているのではなく、当たり前のことをきちんと教えなかったのを悔やんでいるという意味で、自分に対する反省を言っているものだ」と説明されたそうだ。麻矢さんは、父が言わんとしていることを理解できるようになった、と書きつつ、「今でも子どもの存在を否定する言葉だと思っている」とも書いている。

そりゃそうだ。かーっとしてつい言っちゃうことはあるかもしれない言葉ではあるが、言い過ぎたよな、悪かったよ、と気がついたら謝るべきじゃないか。我が子に、お前は失敗作であると親が宣言しちゃ駄目だよ、と私は思う。でも、井上ひさしはそれを後からご立派な解説を付けて正当化したのだ。ずるいよ。そして、長女と次女は、死ぬまで切り捨てられた。三女は、こまつ座を託す相手としてだけ認識された。結局、井上ひさしにとって子どもとは、再婚後に生まれた息子ひとりだけだったのだ。

ああ、結局悪口ばかりになってしまった。本当は、この本にはすごくいいことがいっぱい書かれている。それが井上ひさしという人なのだと思う。心に響く、真実に溢れた素晴らしい言葉の数々。ところが、その裏に、ひどく冷たく自分勝手で簡単に大事なものを裏切る酷薄さが隠されている。巧妙に隠されているのでなかなか表には出てこないが、かと言って隠し切れているわけではない。そして、その二面性に、いつも私は混乱する。

本当にそうだな、そのとおりだ、と心に留め置きたくなった言葉だけをここに写し書いておく。

問題を悩みにすり替えない。問題は問題として解決する。

むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、愉快なことをまじめに書くこと。(実はこの文章にはそのあとがある。)まじめなことをだらしなく、だらしないことをまっすぐに、まっすぐなことをひかえめに、ひかえめなことをわくわくと、わくわくすることをさりげなく、さりげないことをはっきりと。

◯策略に勝つために策略を経ててもダメ。策略に勝つのは正直であること。正直は最良の政策。

(引用は「夜中の電話」井上麻矢 より)

2017/6/11