夫・車谷長吉

夫・車谷長吉

2021年7月24日

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「夫・車谷長吉」高橋順子 文藝春秋

車谷長吉は『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を受賞した作家だ。が、私はそれを読んだことはない。私が彼の名を知ったのは、朝日新聞の「悩みのるつぼ」という身の上相談コーナーだ。車谷長吉は人生相談の回答者だったのだが、あらゆる悩みに対する回答はぶっ飛んでいた。読者である私は、最初は呆れ果てたのだが、だんだんに面白くなって、最後は楽しみで、彼が回答者を降りたときには残念でならなかった。

どんな回答をしていたかは資料もないので記憶だけで書くのだが、大抵の場合は、相談者がどんな悩みを寄せたところで、「私のほうがもっと悩みが深い」「私のほうがあなたよりも不幸である」「あなたの悩みなど放っておけばよろしい」「その悩みは解決しないので一生抱えて生きていけ」みたいなことを言っていたように思う。回答者が自分の不幸自慢をするなんて・・・とぶったまげたのものだ。覚えているのは、自分は生まれつきの副鼻腔炎(蓄膿症と言っていたかな)かなにかで鼻呼吸をしたことがないし、持病だらけで苦痛に耐えて生きているとか、身内が狂死したとか、自分のほうがよほど報われない人生を歩んでいる、と結局は回答者の人生相談になりかねない内容だったことだ。それが芸の域にまで達していると感じて、最後の方は味わうように読んでいたような。

また、車谷長吉はセゾングループに雇われていたそうで、同じくセゾングループのリブロで働いていた田口久美子さんの「書店風雲録」にも確か登場していた記憶がある。自分の著作が売れないかと日がな一日売り場に立って、自分の本のある書棚を鬼気迫る形相で見据えていた・・というエピソードが載っていたような覚えが。(確認してないんだけどね。)

そんな車谷長吉の妻が、亡き夫を偲んで書いたのがこの本。結婚したのが四十代半ばだそうで、それ以降、ずっと一緒にいたそうだが、かなり大変だったろうなあ、と思う。とはいえ、この奥さんも車谷長吉を選ぶあたりがやっぱり強者なので、相性は良かったのかもしれない。編集者などには、車谷長吉と結婚したのは修行ですか?とか問われたらしい。わかるなあ、質問したくなる気持ち。

車谷長吉は良い小説を書いても編集者と喧嘩して出版できなくなったり、直木賞を受賞した後も、人の悪口をじゃんじゃん書いて相手に訴えられたり、やっぱり落ち着くことはできない人で、家庭内でもかなり無茶苦茶だったようだ。それでも二人でよく旅をした。お遍路さんで四国を回ったり、ピースボートで世界中を回ったり、それは楽しかっただろうなあ、とも思う。

奥さんの高橋順子さんも詩人だから、時々講演旅行とか詩の集まりなどに行かねばならなくて、そうすると車谷長吉は寂しくてどうかなりそうで、でも、ついていくのは癪だったりして、面倒な人だった。車谷長吉の訃報を聞いた時、あんなに持病自慢をしていたから何かの病気で亡くなったのだろうと思っていたが、なんと、奥さんの留守中に冷凍のイカを丸呑みして窒息死したんだそうだ。奥さんがいないと、とことんだめな人だったのだなあ。

結婚前に奥さんに出した絵手紙がいくつも載っているが、これは楽しいし心打たれるものもある。純粋な人ではあったのだろうけれど、感情のコントロールを最初から放棄して生きていたのかもしれないな、と思った。たしかにこんな夫がいなくなったら、残りの人生がある意味寂しくてならないかもしれない。

2018/2/13