書店風雲録

書店風雲録

2021年7月24日

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「書店風雲録」田口久美子 本の雑誌社

おちびが学校で将来の夢とそれを実現するために何が必要か発表する課題をもらって来ました。ついては、明日までに、将来の夢を決めなくちゃならないんだよね、と夕食を食べながらのんきに言うのです。

幼稚園時代の彼女の夢は「かんごくさん」でした。耳鼻科の白衣のお姉さんが優しくて好きだったんですね。それから、デザイナーになる、という夢を小学校入学と同時に確立し、一時は、シャネルの店の前を通りながら「おちびはこれよりももっと大きいお店を持つ!」と言い放ちやがりました。その意気やよし、なんですがね。中学年では、アイドル志願のお友達の衣装を担当する契約も取り付けていましたが、その後、急速に熱意は消え、ついで現れたのは、幼稚園の先生。子どもたちと楽しく遊んでいるだけで仕事になるなんて!と、ご近所のチビどもと遊びまわりながら、彼女は考えていたらしいのです。が、小学校の総合の時間に職業について学び、幼稚園の先生は、仕事がハードな割に収入が少なく、しかも、遊ぶだけじゃないらしい、と認識して、それも断念。今じゃ、何になるか、全くわからない状態です。

仕事が楽しくて、かっこよくて、たいへんじゃなくて、多少お勉強が必要でもいいから、収入がいいお仕事って何がある?としゃあしゃあと聞いてくるおちび。そんな仕事があったら、みんな、なってます!仕事なんて、どれも楽じゃない。それぞれに苦労があるんだよ!!!

じゃあ、何がいいと思う?と聞かれて、書店員はどう?本屋さんは。と、言う私。最近、書店員さんの本を読んだんだけどね。ああ、本屋さんていいなあ、なんで本屋さんにならなかったんだろうっておかあさん、思ったんだよ。なんで気が付かなかったんだろう、本屋さんになるってことに。

「書店員風雲録」はキディランドの本屋さんから始まって、西武百貨店書籍販売部門、のちにリブロで働き、今はジュンク堂で副店長をやっている田口久美子さんの書店の歴史の記録だ。

新入社員の採用面接をするたびに、出版業を志す彼らの優先順位は出版社・取次・書店なのだとつくづく身にしみる。私は「書店にいらっしゃい、書店に」という言葉をいつも呑み込む。だから「ここに存在証明ありき」という本があれば、というのぞみがいつの間にか私の心に棲みついていたのだ。書店員の仕事の仕方ひとつで読者にきちんと本が届いたり届かなかったりする。と私たち書店人は心密かに思っている。思っていることをみなさんに理解してほしい、とも願っている。

(引用は「書店員風雲録」田口久美子 あとがき より)

彼女の願いはこの本でしっかりと果たされていると思う。書店員ってなんて面白いんだ、と私は魅了された。

この本のほとんどは、西武百貨店書店販売部門がのちに独立し「リブロ」となって、彼女が退社するまでの歴史が描かれている。リブロという書店は、セゾングループ代表の堤清二と、その意を受けたリブロ社長小川道明の二人が創り上げたセゾン文化の場であった。ただ、本を並べて売るだけではなく、文化の担い手としての立場を大きく意識した場所であった。

本をどのように並べ、どのような書棚を作り上げるか、どう売っていくか。書店員の仕事が文化を作る担い手になりうるということが、この本からは伝わってくる。それは、厳しく苦しく大変なこともでありながら、なんと楽しいことなんだろう、と私は思った。

この本はこう売った、この本はこんな売れ方をしたという記述を読んでいると、ああ、そんな本があったなあ、そんなブームがあったっけ、と想い出す。書店の歴史は文化の歴史だ。

書店は、売れ行きのいい本をレジ前に平積みにして売る。そうすることで、さらに売れ行きは加速される。だが、浜田幸一の国会暴露本がベストセラーになった時、レジ前に平積みにしたら、リブロ社長小川は「こんな本、そんな売り方をするな」と怒ったそうだ。書店員はみな、「私たちだって売りたくて売ってるんじゃありません」とつぶやいたという。

サルマン・ラシュディ「悪魔の詩」が騒動になった時、日本中の書店がこの本を書棚から撤退した。けれど、リブロだけは、書棚に置き続けたという。騒動が沈静化するまで、社長はずっとそのそばに立ち続けたという。オウム事件の時には、やはり全国の書店がオウム関連本を撤退したが、リブロは売り続けた。

リブロの名物店員であった今泉正光が作る書棚は「今泉棚」と呼ばれ、焦点の枠をはみ出してメディアでも話題となった。

繰り返し、繰り返し、棚の中で特集を組んだ。もちろんイベントにして大きくした時もある。色々やった。一九三○年代、ユダヤ人、同性愛、ナショナリズム、暗殺、権力・・・・、文学なんかは間口が広くて不特定のお客さんが多いけれど、思想の棚は何年かするとリピーターがついてくる。いつも同じお客さんなんだ。十人のうち八、九人はおなじみさんだ。だから例えば有名ファッション・ブランドが毎年「今年の型」を提案するように、買うところを決めて来てくれるお客さんを飽きさせないように、しょっちゅう棚を工夫していた。それだけ勉強もした。関連の本も読んだし、編集者にも会った。エキサイティングだったなあ。毎月特集を組むのは簡単じゃない。他の人が十年かかるところを、あの三、四年で突っ走ったような気がする。濃密な時間だった。例えば「ナショナリズム」を取り上げる、心理学から、社会学から、文学から見ても、とか色々切り口があるだろう。順々にやるわけだ。やっていて楽しかったんだ。売上カードを毎日見るだろう、そうかこんな本が売れるのか、それなら、ああいう棚づくりもこういうのも可能じゃないか、って思うんだ。お客さんもよく反応してくれたよ、売れた。

(引用は「書店風雲録」田口久美子 より 今泉氏の言葉として)

本屋が文化を牽引する、担い手となる意気込みと手応えが伝わってくる。
しかし、リブロは堤氏が手を引き、セゾングループが衰退するに連れ、変容していく。そして、社長が退社し、名物書店員もそれぞれに散っていく・・・。

おちびは、本屋という提案を「疲れそう」と一刀両断した。じゃあ、図書館司書は、古本屋は(仕入れをしなくても、うちの本を全部そのまま上げるよ、という提案も含めて)、という私のプレゼンテーションに対し、一言「活字から、いったん離れてくれない?」と、冷たく言い放った。

伝統工芸を引き継ぐのもいいけど、漆塗りは手が痒そうだし、陶芸は手が冷えそうだし、塗り箸はずっと座ってるのが大変そうだし・・・花屋さんは冬寒いし、キャビンアテンダントはいつも笑ってなくちゃいけないのが疲れるし、リゾートホテルのスタッフも、へんな客が来ても親切にしなくちゃいけないし・・・・。

おちびの将来は、いったいどうなることやら。

2011/9/30