文章心得帖

文章心得帖

56 鶴見俊輔 潮出版社

1980年の本。私にとってはなじみ深い(!)年代だが、もう大昔なのね。県立図書館でお願いしたら、奥の書庫から取り出されてきた、活字からも古さ泣にじみ出るような本。でも、中身は今でも生き生きと通用する鮮度を保っている。(ちなみに私の読んだ潮出版社版は資料がないため、上にはちくま学芸文庫の表紙写真を表示してある)

京都の小さな美容室の二階に机と椅子を並べた急ごしらえの教室で行われた文章講座の記録。一回も欠席してはいけないし、宿題の作文も必ず提出せねばならない。それができない人はやめてもらう、という講座だったそうだが、鶴見俊輔の講義が聞けて、丁寧に実作指導してもらえて、こんな贅沢はない。参加者はさぞかし楽しくも刺激的な時間を過ごしたことだろう。

鶴見の考える文章の理想には三つの条件がある。

第一は誠実さ。紋切り型の言葉に乗ってスイスイものを言わない。自分が生まれた時からずっと使い慣れてきた言葉で書いてゆけば、自分の肉声をそれに乗せることができ、人のペースに巻き込まれない表現ができてくる。

第二は明晰さ。そこで使われている言葉を、それはどういう意味か、と問われたらすぐに説明できるということ。言葉で説明できなければ身振りで説明できる。たとえ抽象的な表現であっても、それはどういう意味かと聞けば、十分あれば十分で答えられる。それだけの力を感じさせる文章は、抽象語を使っても明晰である。

第三はわかりやすさ。「読者に対して」のわかりやすさの読者は自分であっていい。文章はまず自分にとって大事である。自分の内部の発想にはずみをつけていくものが、いい文章である。書いているうちにどんどんはずみがついていき、物事が自分にとってはっきり見えてくる。そういう場合に、少なくとも自分にとってはいい文章を書いていることになる。

最初の章で上げられたこの三原則は、本当にその通りだ。借り物の言葉を使わず、自分が何が言いたいのかをはっきりと表すような言葉を使って、わかりやすく書く。偉そうだったり、本当はもっとすごいことを知っているかのようにほのめかす文章はよろしくない。そして、それは結構陥りやすい罠だったりもする。誠実で、明晰で、わかりやすい文章。私もそんな文章を書きたいなあ。

良い文章について講義しながら、参加者の実作が添削されているのだが、とても誠実に丁寧に読み込まれているのに感動する。参加したかったなあ…と思うね、ほんとに。たとえけちょんけちょんにけなされても、絶対、納得すると思う。

良い文章の見本として出されるのが、これまた、例えば幸田文や森崎和江のような文学的に評価を得ている人の文章だけでなく、例えばおすぎとピーコの本のあとがきだったり増田小夜という芸者上がりの女性の自伝だったりするのに感心する。彼は様々な文献を幅広く読んでいて、世間の評価に関係なく、自分の基準に厳しく照らして文章を見ているのだということがよくわかる。

教室が終わった後、みんなでおしゃべりなんぞをしているうちに「家事が待っていますので」と彼は先に帰って行ったという。なんかいいなあ。生きているうちに、お会いしたかった、鶴見俊輔先生!