新古事記

新古事記

25 村田喜代子 講談社

村田喜代子だ、というだけで借りた本。古事記と言うからには古い物語なのかと思ったら、全然違った。

第二次世界大戦中にアメリカのロスアラモスに物理学者たちが集められ、原爆を開発した。そこに集められた科学者のひとりであるベンジャミンの婚約者、のちに妻となる女性、アデラが主人公である。彼女の祖父は、実は咸臨丸でアメリカにやってきた若い水夫のヒコジロウであった。ホームステイ先の家族に気に入られたヒコジロウは、帰国する咸臨丸から海に飛び込み、彼らの息子となった。アメリカ名と籍を手に入れ、日系であることを隠して暮らした。ヒコジロウの妻となった女性が遺した一冊のノートだけが、彼が日本人であったことを表している。

日系であるというだけで、アメリカ籍を持っていても日系人収容所に入れられるその時代である。主人公のアデラは日系であることをひた隠しにして、秘密の使命のためにロスアラモスに行く恋人についていった。そこには著名な科学者たちや若手の有能な学者が集まり、日々研究に没頭する。妻や家族は何一つ知らされない。アデラはその施設の外にある獣医診療所で働く。

アメリカ原住民(インディアンと呼ばれる人たち)や多くの亡命ユダヤ人、カトリックやプロテスタントが集まって、女性たちは皆助け合って過ごす。外部との連絡も取れず、どこにいるかを親戚に知らせることもできず、配給される食糧で料理を作り、自分たちでそれぞれの宗教を奉る。夫たちは無神論者ばかりで、そんなことに興味も持たない。だが、そこでも赤ん坊が生まれ、子どもが育っていく。アデラも恋人のベンジャミンと結婚し、妊娠する。

「存在を抱く」の中で木下晋は、原爆を作ったアインシュタインを許さない、と言っていた。村田喜代子は、そんなこと言ったらその前のキュリー夫人も批判しなければいけない、と指摘した。「村田喜代子の本よみ口座」の中で、彼女は長崎で被爆した物理学者の手記を紹介している。彼は、被爆してひどい負傷に苦しみながらも「これは原子爆弾に違いない、となると彼らはこれを作りおおせたのか」「どのようにこれを作ったのか、そのためには莫大な費用と研究と機材が必要だが、それを彼らは成し遂げたのか」とただただ考えたという。悲憤慷慨する前に、科学者としての知への欲求がまさったという話である。

ベンジャミンも、研究結果の最終実験の日、それに立ち会う勇気が出ずに妊娠した妻を伴って実験場と反対方向へ野営に出かける。すべてが終わってから研究施設に戻り、実験の成功を知り、打ちひしがれるのだ。オッペンハイマーたちは、この結果を実際に使用せず、威嚇だけに利用するよう提案に奔走するが、原爆は二度落とされる。そして、戦争は終わり、科学者たちは大学や研究室での地位を手に入れ、それぞれの持ち場に戻っていく。

この本を書く契機となったのは、村田喜代子が手に入れた「ロスアラモスからヒロシマへ」という一冊の古い本であった。原爆開発の研究所で夫とともに二年間暮らした女性が、後年、国連関連の支援活動でソーシアルワークを務め、この本を著したという。体験記の冒頭には夫と共に来日した著者が原爆慰霊碑の前に立ったときの情景が語られる。「人間の人間に対する非道」をアメリカ人女性として忘れまいと念じた姿が描かれている。

この本は、四人の女性グループが共同で翻訳し、合同の翻訳者名「橘まみ」として発表した。三十数年前の在野の女性たちのため、なかなか所在がつかめなかったが、代表である女性が石垣島に在住であることがようやくわかった。村田喜代子が小説化の許可を求めると、できる限り協力すると即答されたが、その後、連絡が不意に途絶え、動脈りゅう破裂で急死されたことがわかった。そこで彼女からの情報を諦め、もう一度構想から立て直して書かれたのが本書であるという。

何かいろいろな人々の深い思いが積み重なって出来上がった小説であると思う。一気に読んでしまった。私たちは、人間が原子力というものを手に入れてしまったことの意味を、もう一度考え直さなければならないと思う。