村田喜代子の本よみ講座

村田喜代子の本よみ講座

22 村田喜代子 中央公論出版社

信頼し、尊敬する村田喜代子さんの本。これは、2019年から福岡で行われた読書講座の内容を収録したものだ。様々な分野にわたる本を、毎回何冊か取り上げて論じている。海外小説から、原発や原爆に関する本、唱歌や民話、夢の話、ご本人の著作に至るまで、バラエティに富んだ選本である。どれも非常に面白い。そうか、そのように村田さんは読んだのか、そこに引っかかったか、それでそこまで調べたんだな、とぐんぐん惹きつけられる。もちろん、紹介された本はとても読みたくなる。

こんな講座があったら、万難を排していくのにな。2019年に福岡に住んでいればよかった!そういえば鶴見俊輔の「文章心得帖」を読んだときも同じように思ったっけ。1980年、京都の小さな美容院の二階で開かれた文章講座。一回も欠席してはいけないし、宿題の作文も必ず提出せねばならない厳しい約束があったというけれど、その時京都にいたら絶対全出席したのに。でも。ということは、今、このときにも、私の身近で、とても興味深く面白い講座が開かれているのかも。それに私は気が付いていないだけなのかも。なんてふと思ったりもする。

それはともかく。この本で最初に紹介されたのは「ネバーホーム」(レアード・ハント)である。アメリカの南北戦争の話。インディアナ州の農場で暮らしていた主婦が夫の代わりに男のふりをして戦争に参加した話。ストーリーを追いながら、アメリカにとって南北戦争とは何であったのか、本当に男のふりをして戦争に参加した女性はいたのか、そして特徴的な訳文は原文と比較してどうであったのか、などが語られる。まるで一緒に一冊の本を読んだようだ。そして、様々なストーリーの片隅で、村田さんが何を見つけ、何を考えたのかが、じんわりしみこんでくる。この本を、今度は私が私の目と頭を使って読みなおしてみたくなる。

次の本は「やんごとなき読者」。これは先ごろお亡くなりになったエリザベス女王が主人公のお話。女王は本なんて全然好きじゃなかったのに、ある時、バッキンガム宮殿の裏口にとまっていた移動図書館車に出会い、成り行きで、本を一冊借りた。そこから、彼女の読書生活が始まる。

これ、すごい発見だ。本を読むという行為の意味のひとつがここから見えてくる。読書は現実世界とは別の世界を作っている。本は入ってくるものを分け隔てせず、読者が誰であるかも選ばない。すべての読者は平等である。文学とはひとつの共和国である。世界中の人々の上に君臨してきた女王にとって、それは全く別の世界だったのだ。なるほど。

そういえば、この本で村田さんが一冊だけ取り上げた自作の著書も「エリザベスの友達」であった。

   もう誰も私を名前で呼ばぬから エリザベスだということにする 
                (「大女伝説」短歌研究社 松村由利子)

という短歌との出会いをもとに書かれた短編小説である。エリザベスはイギリスの女王だけでない。例えば満州国の最後の皇帝の妃、婉容もエリザベスと呼ばれていた。戦前、その婉容が暮らしたという天津の租界に住んでいた老女の、今現在の老人ホームの日々。とぼけたようなおかしみと、人の生きる哀しみと、気が遠くなるような深みのある話だ。

ああ、この調子でこの本に紹介されたすべての本について書いてしまいたくなるが、そうもいくまい。というわけで、この本を、皆さん読んだほうがいいよ。本を読むことの楽しさ、奥深さ、恐ろしさをしみじみと思い知るから。そして、もっと読みたくなるから。おすすめです。