日本全国津々うりゃうりゃ仕事逃亡編

2021年7月24日

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「日本全国津々うりゃうりゃ仕事逃亡編」宮田珠己 廣済堂出版

「日本全国もっと津々うりゃうりゃ」 の続編である。

 旅が好きで、旅ばかりして過ごしているうちにおっさんになり、そろそろ飽きるかと思ったら、まだ好きである。好きどころか、旅をしているときだけが生きている気分であり、そうでないときは死んだような目をしていると言われる。(中略)
 このまま仕事にかまけてどこにも出かけないでいると、だんだん目つきだけでなく総合的に死んでしまう可能性がある。そうなるまえに、ときどき逃亡しなければならない。
           (「日本全国もっと津々うりゃうりゃ」より引用)

ふざけた書き出しである。いや、ふざけたように見せかけているだけで、実はとても切実なことが書いてある。サラリーマンをしながら休みを取りまくっては海外をバックパック担いで旅していたタマキングも、気がつけばお父さんである。自由業である。背負うものはたくさんあるが、息をするように旅が必要な体質は変わらない。

以前、トークショーで、旅を続けていたら辞めどきがわからなくなったという女性の問いに、驚くほど真正面から答えようとしていた宮田珠己を見たことがある。だらだらと気ままに旅して過ごしたいけれど、そのままではいられない現実とどう折り合いをつけていくか。そんなことはごく個人的な問題で、人に聞くようなことじゃないだろう、と私は思ったし、脱力タマキングとしては、はあ、困りますよねえ、くらいに流すだろうと予想した。ところが、彼は「わかります。」と身を乗り出して言うのである。そこでどんな回答がなされたかは忘れてしまったが(笑)、つまりは、ずーっと旅していたい、という欲望とどう折り合いを付けるかは、いつまでも彼自身の課題であり続けるのだ、とわかった気がした。それはそれで、ちょっとした感動でもあった。

この本は今までの「うりゃうりゃ」シリーズと同じで、観光地とか有名な場所に行くというよりは、なんとなく不思議な場所や、ちょっと行ってみたいところ、やってみたいことがある場所へ行って、だらだらと過ごした時間が描かれている。オホーツクで流氷に乗ってみたり、和歌山で粘菌を探してみたり、立山アルペンルートから、最終的に「まんだら遊苑」という謎の施設へ行ってみたり。

編集のテレメンテイコ女史が時として同行するのもいつものとおりである。この二人の親密さのない距離感がまた、ある種のスパイスとなっている。

結局生きるってこういうことだな、と私は思うのである。いやほんとに思うのだ。ぼんやりふわふわ生きていたいけれど、やらなきゃいけないことは追っかけてくるし、それなりに責任も果たさねばならない。だけど、たまにどこかに逃亡して、一般的にいいとされていることなんかじゃなくて、自分にとって面白いこと、興味があることを、それもガツガツじゃなくて、のんびり、いい加減に楽しむ。そういう時間があるからこそ、生きてるってもんだ、と思うのである。

今度河原に行ったら、どこまで石が積めるかをやってみたい。と思うようになるかもしれないよ、この本を読んだら。

2016/1/7