森瑤子の帽子

森瑤子の帽子

2021年7月24日

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「森瑤子の帽子」島崎今日子 幻冬舎

「安井かずみがいた時代」の島崎今日子である。この作品にも、安井かずみが登場する。

私が若い頃、一世を風靡した森瑤子だが、私は彼女の作品をたぶんほとんど読んでいない。私とかけ離れた作品世界ばかりだからだと思う。美しい人妻が、かっこいい男性と巡り合って愛し合う。ハイヒールと赤いルージュときれいなドレスと豪華なリゾート、シャンペン、そして甘い囁き。ぷはーっ、それがどうした、あーこりゃこりゃ、と言いたくなっておしまい、である。二、三冊は読んだかな。彼女が亡くなる直前に、昔の婚約者とり病床で語り合ったという話を何かで読んで、死ぬ間際までそんなだったのかよ、と鼻白んだ覚えがある。

だが、この本を読んで、森瑤子、色々あったのね、とは思った。安井かずみも大変だったが、森瑤子も大変だったのである。人間、かっこよく美しい部分だけでは生きていけないからねえ。そう見せるためには、普通のかっこ悪い人の何倍も苦労するしかないわけだ。

森瑤子の交友の中に佐野洋子が登場したのは驚いた。さばさばと生きる佐野洋子と、スタイリッシュが生きがいの森瑤子の接点がわからなかったからだ。だが、仕事をしたい、世に出たい、と願う同年代の女性という接点があった。それより驚いたのが木村晋介である。私の知る木村晋介は、弁護士のもっさいおじさんなのだが、森瑤子の死の間際、ねだられて病室でキスしたと言うではないか!!何やってるの、木村晋介。彼があんまりダサいので、エルメスのネクタイを12本も買ってやったというエピソードが残っているが、木村晋介いわく、持ってるスーツに合うものは一本もなかったそうだ。だろうねえ。

東京芸大のバイオリン科を出た森瑤子はであるが、バイオリンの才能はないと自分を見限っていた。同期のバイオリン奏者、林瑤子に憧れた彼女は、自分のペンネームを彼女にあやかって無断でつける。林瑤子は後に瀬戸瑤子となり、森の懇願によって彼女の葬式で演奏を行うこととなる。自分とほぼそっくりの筆名を持つ作家がいることに、彼女は非常に戸惑い、複雑な思いがあったという。

森瑤子は、自分ではない「誰かになりたい」人なのだったと思う。イギリス人男性と結婚し、三人の娘をインターナショナルスクールに入れ、三浦半島に家をもち、夏は軽井沢で過ごし、与論島に大きな別荘をもち、カナダの島を所有し、世界中をファーストクラスで旅して周り、夫以外の恋人をもち、華やかなドレスに身を包み、パーティを楽しみ、合間に執筆を行う。いっぽうでは

だけどほんとうは、毛皮もロレックスもダイヤも、そしてたぶん私の口を突いてでるファナスティックな言葉も、煙草も、お酒も、そういうものはみんな私のヨロイカブトなのだ。そういうもので武装しないと、私という女は、とても外へなど出ていけないし、見知らぬ人と対談などできないのだ。(「別れ上手」ハーレクイン・エンタープライズ 86年)

などという。作家の小池真理子は森瑤子から

「本当のことを言うとね、私にはお友達がいないの。だから、あなたと親しくなれて、とても嬉しい。」と手紙をもらって有頂天になりランチに誘われて出向くと森は大勢の人たちとテーブルを囲んでいた。

という。森は誰にも本音を見せないし、すべての人に本音で話しているように振る舞う、と小池真理子は見抜いたという。

大胆な情事の話を小説に書けたのは、夫がイギリス人で彼女の作品を読めないからだったという。そんな夫に常に気を使い、夫が望むダーツやヨット販売の事業のために出版社から多額の借金をし、門限までには必ず帰ろうとしたという。夫婦仲はとうに破綻していた、いや、とても仲が良かった、と証言は様々である。森瑤子が、安井かずみが夫の加藤和彦にとても気を使っている、と指摘して周囲の人が驚いたというエピソードがあった。というのも、周囲から見れば、森瑤子こそ夫のアイヴァン・ブラッキンに常に気を使いすぎるほど使っていると皆が思っていたからである。

安井かずみも、森瑤子も大変だったのね、と思う。スタイリッシュに生きようなんてしなければねえ。と心から思っちゃう私はオバさんである。ダメダメだったり、かっこ悪かったりする自分をそのまま受け入れて、それでもいいじゃん、と生きるほうが、私は好きだ。なんて言うと、森瑤子ファンに怒られるだろうか。それとも、森瑤子も、本当はそうやって生きているつもりだったのだろうか。

(引用はすべて「森瑤子の帽子』島崎今日子より)

2020/2/14