正倉院展へ

そもそもは、興福寺のお堂で特別公開中の阿修羅像を見に行くつもりだったのですが、誘ってくださった奈良在住のお友達が、朝から90分待ちだと教えてくださいました。正倉院展は15分待ちということでしたので、東京から遠路はるばる来てくださったお友達と三人で、では、正倉院展へ、ということになりました。

正倉院展も、待ち時間は結局30分ほどでしたが、三人であれこれおしゃべりしていると、あっという間でした。行列の節目節目にはディスプレイが置いてあって、映像も楽しめて、USJのターミネーターみたいに、上手にお客さんを待たせる工夫がされていました。

奈良のお友達の豊富な知識と、東京のお友達の美術に対する深い薀蓄を両耳で聞きながらの見学は、なかなか贅沢なひと時です。

象牙の小刀は、想像よりもずっと小さくて、書き損じの紙を削る消しゴム代わりのステーショナリーなんですね。おしゃれなつくりで、私も一本欲しいわ、なんて不謹慎にも思いました。

紫檀の琵琶は、さすがに見事です。とてもとても細かい細工がすばらしい。どんな人が、どんな曲を奏でたのでしょう。

碁盤は、縁の縁まできれいな模様があって、家に置いて、ご飯が食べたいような形です。碁石入れが、思いのほかに小さくて、これでは全部入りきれなさそう。もしかして、五目並べ専用だったのかしら、なんて考えてみたり。

伎楽面は、とても小さくて、昔の人は、顔も小さかったのでしょうか。綺麗なおねえちゃんの顔はふっくりとして素敵。でも、悪役のゴブリンみたいなお面は、愛嬌があって、むしろ正義の味方のお面より、好きになれそうでした。

綺麗な織物にうっとりしていたら、これは、リバティプリントと同じだわ、と教えていただいたりして、興味深いです。馬の面が、ローマ風だとか、西からの文化の流れが感じられて、遠い昔から、世界は繋がっていたのね、と改めて思います。

教えていただいたのですが、正倉院の素晴らしさは、出土品ではなく、保管してあった品々なので、記録がされていて、由来が明らかな上、保存状態がよく、当時の姿がそのまま残されているのだそうです。

至宝の数々を、整理し、虫がつかないように、劣化しないように、気が遠くなるほど長い間、大切に保管されてきた年月を思うと、モノを大事にする伝統の素晴らしさがわかります。
ああ、こんなに狭い家のつまらないモノどもですら、ろくにきちんと整理保管できない自分が恥ずかしい。

おちびの下校時間に間に合うように、博物館脇の休憩所で薬膳弁当をいただいて、急いで帰りました。

お友達は、それから、阿修羅さんともご対面なさったそうで、私も日を改めて、ぜひ伺いたいと思いました。
楽しい一日でした。

2009/11/8