母という呪縛 娘という牢獄

母という呪縛 娘という牢獄

110 齋藤彩 講談社

「ポンコツ一家」の後がこれかよー、と自分で自分に突っ込む。家族の問題、母と娘の問題。同じテーマでも随分違うよなー。

子育て中、親とはなんと欲深いものか、と思っていた。元気に生まれてほしい、とにかく生き延びてほしいとだけ願っていたのに、徐々に欲が出て、素直に育ってほしい、明るく育ってほしい、賢く育ってほしい、できれば成績はいいほうがいい、駆けっこだって早い方がいい、ピアノが上手で、何ならモテモテでいてほしい、なんて。自分ができもしなかったことまで、あれもこれもと願いは広がる。自分の産んだ子なんだもの、そんなに大して能力があるわけもないのに。

子に完璧を求める母は、結構いる。それはよく感じていた。うちの子はいつも親切で正しくて勉強も良くできる、それが当たり前。と信じている親。でも、子は、当然、そんなに完ぺきではなくて、あちこちで間違ったり失敗したりして、でも、それが親に見つかると酷く叱られるのを知っていて、隠そうとする子もいた。痛々しくも感じたし、もしかしたら、私も我が子に同じようなことを強いているのではないかと不安になりもした。まあ、子育ってってそういうもんだ、とも思う。

この本は、娘に完璧だけを求めて、医師になると約束したのだから、と九年間も浪人させて、ついに諦めて看護学部で妥協したものの、今度は助産師の試験に受かれと強要し続けて、とうとう殺されてしまった母親と、殺してしまった娘の話。現実の事件である。苦しかった。

辛い内容である。幼いころ、時計の読み方を毎日練習させられて、間違うと叱責された。テストは90点が限界で、それより低いと責められた。中学二年、成績が悪くて熱湯をかけられて、脚の皮がベロンとむけた。同じ目に遭いたくなかったらもっと勉強しなさい、と言われて、ごめんなさいと謝った。医師になると定められ、受験勉強を強いられ、寝る間もなく勉強し、成績が悪いと殴られた。医学部受験は無理だという担任教師を無能者だと母は怒り、案の定、不合格に終わると裏切り者とののしられた。それから9年間の浪人生活。

助けを求めたこともある。友達に、皮のむけた脚を見せてドン引きされた。本当のことを言ってはいけないのだと思った。家出して、高校の教師の家に逃げたこともある。警察に届けようといわれ、それはできないと家に戻った。未成年なのだから、家にいなければならないと思い知った。

母親にはアメリカに産みの母がいた。歯科医の妻、裕福な生活。アメばあと呼ばれるその人に、自分の娘がどんなに優秀かを伝えるのが彼女の喜びだった。娘が京大に合格したと嘘の手紙を書き、賞賛の返事をもらう。その後に、娘に騙されたと泣きながら連絡する。自分の書いた「うそをついてごめんなさい」という原稿を娘に清書させ、娘からもらった手紙だとアメばあに送る。自分が頑張っているのに、娘が怠けて苦しい、という演出を常に続け、それに娘を巻き込み続けた。どう見せたいかがすべてであり、嘘をつくことは常態化していた。

娘がやっと看護学部に入学したのちも、助産師の試験を無理やり受けさせ、失敗すると夜を徹してなじり続ける。疲れ果てた娘は、母を殺した。叱るだけ叱った後、母親は娘にマッサージをさせて、すやすやと眠る。そこに娘は包丁を突き立てたのだ。

死体が発見されたのちも、娘は母が自殺したと言い張った。嘘をつくのが常態化していて、本当のことを話す習慣すらなかったのだ。だが、離れて暮らしていた父親に本当のことを言ったほうがいい、と言われて初めて、本当のことを言う気持ちになった。

母親と自分との関係を分かってくれる人などこの世にいないと思っていた。だが、本当のことを話したら、裁判官は、まるでそばにいたかのように、二人の関係性をなぞり、そして娘の苦しみも理解した。そのうえで、同情の余地はあるとしながら、懲役十年を言い渡した。これからは自分の人生を歩むようにと言った。彼女は、自分を分かってくれる人がいたことに驚愕し、それを受け入れた。

人に認められたことも、わかってもらったことも、賞賛されたこともなかった彼女が、裁判所で、刑務所で、人に理解されることや、人を助けることや、感謝されることにも初めて出会った。そして今、彼女は懲役中である。

重い重い話であった。これは、とても極端な事例ではあるけれど、こんな方向に行きそうなものを、私たちはもしかしたらみんな持っているのかもしれない。自分の満たされないものを、子によって満たそうとすることは、とても危険だ。子の人生は子のものだし、自分の人生は自分のものだ。他者の人格に侵入してはいけない。そのことを、絶対忘れないでおこうと思った。