水車小屋のネネ

水車小屋のネネ

168 津村記久子 毎日新聞出版

谷崎潤一郎賞受賞作。2021年7月から一年間、毎日新聞に連載、加筆修正した小説。素晴らしかった。

津村記久子が好きだ。読んだのは「つまらない住宅地のすべての家」以来かな。ごく当たり前の、どこにでもいる人たちを、さりげなく、でもとても深く描く。そっけないようで、あんまり詳しく説明しないようで、でも、ちゃんと大事なことは全部伝わる、どこかツンデレな文体。今回は、それが最大限に生かされている小説だった。

18歳の理佐は、春から入学するはずの短大に入学金が振り込まれていないことを知る。母親が家に連れてきた「婚約者」の起業のために「使わせてもらった」というのだ。呆然としてアルバイトに行く理佐。家に帰りたくなくて、公園でコーラを飲もうとしたら、ベンチに座っている十歳下の妹、律を見つける。「婚約者」の言うことを聞かないから家を追い出されたのだ。バイト先の同僚やハローワークの助けを借りて、理佐は他県に住み込みの仕事を見つけ、妹を連れて家を出る。それからの四十年間の二人の生活が、この物語である。

妹の律は本ばかり読む子である。手に持てる限りの引っ越し荷物も、大半は本である。律が本をよく読むことで理佐は助けられたと感じるが、もっと助けられたのは律自身だ。理佐と律を囲む大人たちは良い人たちが多く、その人たちの良心で自分は作られた、と律は思う。

大人が激情すればするほど、子どもは冷静になる。そういう場面で私は涙が出そうになる。本当は、子どもはちゃんとわかっているのだ。それを、大人は気が付かない。その時、どれだけ子供に対して本当のことを言えるか、正直な態度で接することが出来るか。それこそを私たち大人は試されているのに。私は、できる限り嘘をつかない大人でいたい。

みんなの良心で自分は出来ている、という律の言葉は胸にすとんと落ちる。私も、どれだけ周囲の人の良い心、思いやりや親切に助けられて生きてきたことか。旅に出て、初めて会った全然知らない人に親切にしてもらうたびに、私はこんな風に人に親切にしてきただろうか、と自分に問う。親と兄弟にはあまり恵まれなかったけれど、伴侶や子どもたちやたくさんの友人たちに助けられて、今の私が出来ている。だから、私も他の人たちに親切でいたい、親身でありたい、できることはしたい。いきがらず、おごらず、ごく当たり前にできることをして支え合う。そんなことを思えるような、そんな人生が穏やかに静かに描かれている物語だった。