浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち

浮浪児1945-戦争が生んだ子供たち

2021年7月24日

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「浮浪児1945- 戦争が生んだ子どもたち」石井光太 新潮社

 

終戦後、親を失った戦災孤児たちが上野界隈にあふれていた。彼らは「浮浪児」と呼ばれていた。1945年12月には東京の上野駅地下道にいた浮浪児2500人が一斉収容されたと報道されている。戦災孤児は全国でわかっているだけでも12万3511人いたという。引き取り手のいない子どもたちは、自分たちで何とか生きていかねばならなかった。
 
この本は、そうした「浮浪児」と呼ばれた過去を持つ人たちについて調査し、生き残っている方にはていねいなインタビューを行い、その実態をあきらかにしたものである。彼らの多くは仲間の死に立ち合ったという。とても過酷な環境の中で、彼らはがむしゃらに生きてきた。
 
国は児童施設を作り、そこへ浮浪児たちを収容する政策をとったが、当時は児童施設に十分な食料はなく、また、気持ちの荒れた子どもたちを殴り、叩きのめすことで「教育」するというやり方がまかり通っていたため、施設から脱走する子どもたちも跡を絶たなかった。
 
そんな中でも家庭的に温かい愛情を注ぐ「愛児の家」のような施設もあった。そこの出身者は今でも愛児の家の園長を母として懐かしむという。
 
日本は戦後見事に復興を遂げていったと私たちは歴史で学んだが、その影にはこうした浮浪者たちの苦しい実態もあった。元浮浪者だというだけで謂れ無き差別を受けるために、海外に移住していったものも多くいるという。
 
浮浪児という名称は知っていたが、彼らがどれくらいいて、どのような生活をしていたか、私は全く知らなかった。本当は国がきちんと追跡調査し、彼らに国が何をしてきたのかをあきらかにすべきではないだろうか。それにより、子どもたちを育て育むうえで、教訓とすべき様々な事柄がわかるのではないだろうか。
 
 

2015/4/6