秘密の京都

秘密の京都

2021年7月24日

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「秘密の京都」入江敦彦 新潮文庫

京都は奥が深い。二度の兵庫県在住中に何度も訪れた。歩くたびに新しい発見があった。長い長い時間を経て、手をかけ、美しくしつらえられた古都の深みは尋常ではない。

そういえば、その昔、京都に住んでいたこともあったんだっけ。その頃は、子どもが小さくて、のんびり街歩きもできなかった。ディープな地元民にしんねりと鍛えられた。生粋の京都人に、よそ者は太刀打ち出来ない。京都は住むところやない、たまに行くところなんや、と思ったものだった。

入江敦彦はロンドン在住の京都人。地元民でないとわからない深くて内緒の京都を案内してくれる。京都人らしい口調で。

船岡山のてっぺんから京都を俯瞰することでしか見えてこないものがたくさんある。なぜならば、ここは京都の始まりの場所であり、京都時間もまたここを子午線としているからだ。
 標高百二十メートル。面積二万五千坪。この小さな丘の上に桓武天皇は立ち、平安建都を請け負った秦氏の棟梁に正南を指し示し、「朱雀大路、引いてくれへん?」と命じた。現在の千本通に重なる道筋がそれにあたる。「ここが今日から京や。長岡は早良親王のオバケとか出よってワヤやからな。ちゃっちゃと造ってや。」西暦七九三年のことであった。

 
 建都以前から座していた災厄の神スサノオを祀る疫神社。それが「今宮神社」である。遷都を機に船岡山山頂に移されていた社で後に「夜須礼(安良居)」と呼ばれるようになる病鎮めの紫野御霊会が九九四年に執り行われたのをきっかけに元のーすなわち現在の位置に戻され、一◯◯一年に今宮の呼称を戴いた。祭神であるオオナムチ(オオクニヌシ)、コトシロヌシ、クシナダヒメを勧請したのもこのとき。クシナダはともかく、いずれもスサノオには縁が深い荒ぶる神だ。明治天皇は織田信長をそれらヤバい神様に模し、かつ列した。「あんたは神さんになれるくらい凄い人や。そやけど僕らみたいな天孫ニニギの直系からしたら所詮スサノオと同じような傍流にすぎひん。これから日本はようやく本来の神国に戻るんやさかい、邪魔せんと、まあ、あんじょうそこで大人しゅうしとって下さい。まんまんちゃん、あん」。勧請主・明治天皇のそんな呟きが聞こえる。流石というかイケズというか「やっぱり京都人」って感じだ。
                   (引用は「秘密の京都」より)

普通の観光客がなかなか行かなそうな秘密の京都がこの本には載っている。でもね、結構行ったことがある場所も多かったのよね・・・うふふ、なかなかわかってるじゃん、我々も。

ああ、また京都に行きたい。なんでもない道をぶらぶらと歩いて、ふっと見つけた景色の美しさに息を呑みたい。小さな目立たないお店で、ほっぺが落ちるような味に出会いたい。

そんなふうに思ってしまう本だった。
2014/6/5