薄目を開けて生きるのも悪くはないけど(その3)

 
 
つながれたままの点滴を看護師さんが外しに来てくれて、目が覚めました。検温したら37度ある。手術って、目だけでもやっぱり体に負担なんでしょうか。程なく夕食。たいらげて、歯を磨いて、またさっさとベッドに入ります。思ったより疲れたらしく、そのまま眠ってしまいました。その晩はお隣のおやつには起こされませんでした。食べなかったのかな?
 
翌朝は、もう、目の重苦しさはかなり薄れていました。平熱に戻っていて、やれやれ。点眼のため、看護師が一瞬、眼帯を外してくれたら、ものすごく明るい。食後には主治医の診察があって、そこで、もう眼帯は完全に外されました。「充血はどうですか?」と聞かれたのですが、いやいや、眼帯してたので、自分じゃ見れません。そりゃそうですね、と主治医は笑って「順調ですので、帰りたければ、午前中に帰れますよ。」ですって。帰りたいです!お昼、ここで食べたくないわ。
 
日中は普通に普段メガネをかけて、入浴と就寝時は保護用メガネを掛けるように指示されました。保護用メガネというのは、夫の持っている花粉防止メガネと同じだわ。洗髪と洗顔は、一週間後の外来診察までは禁止。冬でよかった。部屋に戻って荷物をまとめていると、看護師が呼びに来て、外来診察室で検眼ですって。同日手術仲間の五人でまたもや結集して診察室に向かいます。おなじみのおじ(い)さんと「「眩しいですよね」「見えるようになりましたね」なんて、またおしゃべり。そうです、なんだか周りがピカピカ光って、まぶしいくらいです。視界にずっとあった海老がいなくなってるし、霞も無くなってる。彼は、来週もう一回反対側の手術だけど、こんなもんなら今日のうち、もう片方もすぐにやっちゃってほしい、なんて言ってます。検眼の結果、ちゃんと見えていることが確認されました。
 
ちなみに、白内障の手術で眼内に入れるレンズは、遠くがよく見えるモノも選べます。でも、そうすると、調節が効かないから近くが見えにくくなっちゃうのね。私は読書を優先するので、近視のままでいいから近くの文字がちゃんと読めるものを、とお願いしました。結果、今まで使っていた眼鏡がちょうどよろしい。本も読めて、めでたい限りです。
 
荷物をまとめていると、諸手続き書類を看護師さんが持って来てくれました。明細票とか請求書とか、入院アンケートとかね。それらをざっと見て、必要なことは記入して、さて、帰ります。ナースステーションでご挨拶して、一階で支払いを済ませて、荷物があるからタクシーで帰りました。
 
まだ11時。おうちっていいわあ、としみじみ思います。二泊しただけなのにね。家はきれいに片付いていて、洗濯もしてあって、夫よ、ありがとう。鏡を見たら、手術した目は充血も特になく、なんの痕跡もありません。ただ、光がやけに強く感じて眩しいのと、眼球を動かすと、ちょっと重苦しい。どうやら私はキョロキョロする質らしく、目を動かす度に、「うへっ」と思います。左側が、何となくゆらゆら揺らいでいるような感覚もある。片手で塞いでみたら、手術をした方の目だと、光は白くて強い。右だけで見ると、光は黄色っぽく柔らかで、いわゆるセピア系ですな。そうか、劣化した目で見るとこうで、新しい目で見ると、そうなのか!子供時代には、世界が左目みたいに見えていたのかも。
 
それから数日経って、目の奥の重苦しさは、ほぼ消えました。眩しさはまだ残っていますが、和らいでは来ています。毎日目薬を三種、四回さすことと、顔と髪を洗っちゃいけないことが面倒です。お風呂にはいると、つい、ザバザバっとやっちゃいそうで、危ない、危ない。来週の外来診療までは首から上は濡らすのNGです。ほんと、冬でよかったわ。
 
そう言えば、一日に何度もハンドクリームを塗ってしまいます。だって、やたらと手が荒れているんだもの。と、そこではたと気が付きました。手は、以前から、ガサガサだったんだ。ただ、見えなかっただけ。そうか、と改めて鏡をしみじみ見てみたら、やけに老けたおばさんが映っていました。そうか、そういうことか。今までは、薄目を開けて自分を見ていたってことね。それはそれで悪いことじゃなかったのかも。ま、せっかく見えるようになったのだから、それを喜ぶことにするけれど、薄目を開けて生きるのも、悪くなかったかもなあ。と思った私でした。
 

2019/2/16