近所の犬

近所の犬

2021年7月24日

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「近所の犬」幻冬舎 姫野カオルコ

 

直木賞受賞作「昭和の犬」に次ぐ第二弾だそうだ。姫野カオルコが直木賞を受賞したという事実もきちんと認識していなかった私は「昭和の犬」も未読で、だからそんなこと言われても・・とは思うのだが、そうかそうか、直木賞受賞後第一作なのね。それは良かったね、なんて今頃、祝いでしまう私。受賞作「昭和の犬」もいずれ読みましょう。その「昭和の犬」は自伝的要素の強い小説で、この「近所の犬」は私小説なのだそうだ。
 
犬を飼いたいとしても、飼うためには様々な条件をクリアせねばならぬ。その条件を満たしていない自分は「かわいー」とか「好きー」とかだけで無責任に犬猫を所有すべきではない。なので、「借飼(しゃくし)」をもっぱらとする、のだそうだ。家から見える風景を我が庭のごとく眺めることを「借景」と呼ぶがごとく。というわけで、この本には姫野さんが「借飼」した様々な犬猫たちが登場する。彼らとの交流、揺れ動く感情。そして、ラストは結構ほのぼのしてしまう。
 
子供時代に自宅で飼った犬猫の話もある。猫の「シャア」の話は、なんとも切ない。姫野さんの子供時代はなかなか過酷なものであって、それが私自身の経験と多少重なる部分もあるので、読んでいて非常に切なくなる。短い期間だけ共に暮らしたシャアが、どれだけ姫野さんを支えていたか。私も子供時代に飼っていた「ジュン」という犬に心を明け渡していたことをちょっと思い出したりもした。
 
子どもたちが二人とも家を出て、夫婦で旅三昧の暮らしに突入しようと思っていたら、このご時世である。犬でも飼えば心の空白も埋められそうに思うが、我が家も犬猫を飼うための条件をクリアしていない。なので姫野さんと同じくもっぱら「借飼」である。前に住んでいた家の近くの秋田犬の「あきちゃん」、今の家の近くの老犬「黄色ちゃん」などが私の友である。本名は別にあるんだろうけれどね。人は、命あるものが好きなんだなあ、と改めて気がつく年齢となった私である。

2021/2/18