負けない力

2021年7月24日

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「負けない力」橋本治 大和書房

 

これは「知性」についての本である。
 
「知性がある」は「頭がいい」とは違う。成績のような数値化はできないし、例えば「ハンニバル」のレクター博士のように頭が良くても自分の欲望をコントロール出来ない人は、知性がない。知性とは、「負けない力」のことである、と橋本治は定義する。
 
ここから始まる、なんで日本人が勉強しなきゃ勝てないという発想を持つに至ったかという分析や「勝つために勉強して、でも負ける」日本のあり方の説明は実に明晰である。そこから、話は「教養」へ向かい、夏目漱石がどんなふうに教養を馬鹿にしてみせたかなんて話につながっていく。「何がわからないかを人に説明するのは難しい」という話もまさにそのとおりである。
 
「正解は、自分の外の「誰か」が握っている」という章は、日頃私が考えていたことがそのままわかりやすく文章にされているようで、うんうんと頷きながら読んだ。正解というのは自分で考えて出すものでなく、外のどっかにあって、それを当てに行くことが「考える」ということだ、と言う考えが当たり前になっている、という指摘がそれである。
 
勉強とは、予め正解が設定されていて、それを見つけて(あてて)見せるのが道筋である、と考えている子どもはとても多い。それだけではない。人との関わりの中で、自分独自の考えを述べるのではなく、空気を読んで、そこにもっとも求められていそうな事を言ってみせる(正解を当てに行く)のが正しいおこないであると信じている人はとても多い。驚いたことに、「夫がこんなことをして(例えば暴力を振るって)私を傷つけました。これは普通のことですか?」などと尋ねる人もいる。それが普通(正解)であれば、自分が傷ついて辛いということは間違いであると考えるのだろうか、といつも私は不思議になる。
 
恐竜は「食うこと」だけを考えて滅んだが、人間は、このままじゃ滅んじゃう、という不安を克服するために物を考えだした、と彼はいう。となると、「考える」とは不安と付き合うことであるのだけれど、どこまでも不安に落ちていくと危険なので、どこかで考えることをストップする安全装置が付いている、と脳科学者も言っているそうだ。「勝たなくちゃ!」は過剰であって、「負けない」に落ち着くのが知性なのである。
 
最後の章で、彼は「考える」ことを薦めている。ただ考えるだけでなく、できれば対話しろと。自分一人で考えていると自分対全世界のようになってしまうけれども、そうではない。全世界というのは、大勢のいろいろなひとによって出来上がっているもので、あなたが一人の人間であるように、この世界もそいう、対話の可能な無数の一人の人間によって出来上がっているのだ、という。
 
「人と話し合うことが出来る」というのは、知性のなせるわざで、「勉強が出来る」だけではなんともならず、「自分一人で何とかする、勝ちたい」と思っていても、人の協力を得ることが出来なかったら、なんともならないのです。(引用は「負けない力」より)
 
と、ここまで読んできて、私はこの本は実は安倍政権や憲法や中国や韓国との関係性について、いろいろ言いたいことがあって書いたのかもしれないなあ、なんて思ってしまった・・・のは、知性がないからなのかもしれない。
 
 

2015/9/9