田中角栄 戦後日本の悲しき自画像

田中角栄 戦後日本の悲しき自画像

2021年7月24日

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「田中角栄 戦後日本の悲しき自画像 早野透 中公新書

「昭 田中角栄と生きた女」にも書いたとおり、「異形の将軍」以来、田中角栄は私のテーマである。この他に「淋しき越山会の女王」「熱情 田中角栄をとりこにした芸者」「絆 父・田中角栄の熱い手」も読んでいる。つまり田中角栄の資金を巡る話と、彼を取り巻く女性や子どもたちの本は読んでいる。だが、田中角栄本人の政治活動を一つの流れとして読んだのは、これが初めてかもしれない。これって、田中角栄を知る順番としては逆なのかもしれない。私の下世話なところがわかってしまうなあ。

しかし、私にとってこの順番は良かったのかもしれない。彼に私的な部分から近づいたおかげで、客観的な行動からの人物像がむしろ理解しやすくなったように思える。彼の愛情深いがせっかちでひとりよがりな性格が、政治行動にも明らかに反映されているのが見て取れるからだ。

田中角栄が総理大臣になった頃を私は覚えている。まだ子どもだったが、小学校卒の学歴を持つ男が総理大臣にのし上がり、コンピューター付きブルドーザーと呼ばれ、一時期もてはやされたものの、金権批判からあれよあれよと泥にまみれていった姿が印象に残っている。新聞を読むことを覚えた頃だったので、いろいろな出来事もなんとなく知っていた。この本を読むことでそれらの出来事の意味が改めて理解できて、まるでパズルを解くような面白さがあった。

田中角栄は実利の人であり、経験の人である。勉強家ではあったが、体系的な学問を学んだことはない。広い目で見た理想を語ることは決して無く、目の前の人を喜ばせ、楽にさせることに長けた人であった。そうした現世利益、その場その場の問題解決の積み重ねが日本の社会を作っていたのだ。

小泉氏がなぜあれほどに郵政改革にこだわったのかが、この本で私は初めてわかった。田中角栄が郵政大臣を務めた時に、地域の顔である特定郵便局を優遇することで自民党の集票マシーンが作り上げられた。道路や郵政など「官」につながる事業をめぐるカネと票のコングロマリットを田中角栄は作り上げたのだ。それが自民党長期政権を支える力となった。自民党の派閥体質、政官業の癒着体質をを突破するために、郵政民営化しかないと小泉純一郎が考えたのは、だからであり、かれが「自民党をぶっつぶす」と言ったのは、だからであったのだ。なるほどねー。と、今頃気がつく私である。

「世界 2011 8月号」で伊東光晴氏が書いたように、田中角栄は電源三法に深く関わった。原発を作ることで地元にカネが落ちるシステムを作ったのである。これもまた、彼の故郷への贈り物であり、同時に集票の源泉でもあった。と同時に、原発を立地する土地を転がすことで、いくらでもカネを生み出したのだ。

田中角栄にとって、政治は事業であった。社会的正義や理想の実現ではなかった。しかし、実業家である彼にとっては、それが何よりの正義であり、日本という国は、そういう方向に走り続けてもいた。。角栄が作り上げた政治システムは深いところでまだ日本を支配し続けている。角栄を知ることは、戦後の日本を知ることである。

一人の人間の経験できること、考え出せることには限りがある。私たちがなぜ本を読み、勉強をし、学問を突き詰めるのかといえば、先人や、自分以外の多くの人たちがたくさんの知見を持ち、追求し深めた、一人では決して到達できない真理のエッセンスを濃縮した形で受け取ることができるからである。積み重ねられた歴史からしか得られない貴重なものを受け継ぐことができるからである。そうした深い広い複雑なものを得たうえで、自らの経験を生かし、いま何が必要なのか、何をすべきかを導き出すことが、私たちにはできるはずなのだ。

田中角栄には足りなかったものがある。彼は、極めて賢い人であったから、自分でもそれをよく知っていたのだろう。けれど、だからこそ、そこから目を背け、今自分のできること、したいことに邁進したのだろう。人生は短いからね。

学ぶことと経験すること。そこから深く考えること。その大切さ、その意味を私はもう一度確認したくなる。

それにしても。図書館から借りた本がまだ何冊か残っている。なんとかこれを読み終えてから返してこの地を去りたいと、夜になると必死に読むのだが、荷造り疲れでまぶたが落ちてきてしまう。ううう。頑張れ、私。読みきるぞー。

2013/3/19