銃・病原菌・鉄(下)

2021年7月24日

103

「銃・病原菌・鉄 下 一万三〇〇〇年に渡る人類史の謎

ジャレド・ダイアモンド  草思社文庫

上巻を読み終えて以来、半月。ようやく読み終えた。いやはや、なかなか大変であった。読み進める過程で、身近に様々なアクシデントが起きてそれに対応せねばならず、長々とひたすら待つだけの時間はあったのだが、そういう時にこのような本を読もうとしても全く頭に入らないものであると実感した。文字面を追うだけで、理解していない部分も多々あるかと思うが、兎にも角にも読み終えて、疑問は解決したかと言えば、さらに深まった部分もある。

下巻では、文字や様々な発明、集権的な社会の成立の歴史を追った後に、地域別にオーストラリアとニューギニア、中国、太平洋、旧世界と新世界の遭遇、アフリカについて歴史や、文化人類学や、遺伝学などを駆使し、科学としての人類史に挑んでいる。知らなかったことがたくさん書いてあるが、一つ一つをあげられない。ぜひ読んでちょうだいと願うばかりである。

あなたがた白人は、たくさんのものを発達させてニューギニアに持ち込んだが、私たちニューギニア人は自分たちのものといえるものがほとんどない。それはなぜか?」というヤリの問いかけに、作者はこう答える。

人類の長い歴史が大陸ごとに異なるのは、それぞれの大陸に居住した人びとが生まれつき異なっていたからではなく、それぞれの大陸ごとに環境が異なっていたからである

食料生産が十分に行えるための技術や、知識や知恵を伝える文字や、銃などの武器、有用な発明などがユーラシア大陸に伝播しやすかったのは、大陸が東西に長く、気候的な差異が少なく、食物生産の技術がそのまま伝わりやすく、地形的に移動しやすく人の流通が可能であり、また、その結果、伝染病なども早期に伝わりあって免疫力も同じように保持していたからである。南北に長い大陸では、気候が違いすぎて食料生産技術はそのまま受け継がれなかったし、家畜化しやすい動物がいないために大きな力を必要とする技術が発達せず、かつ、家畜から人間も伝染する病原菌への耐性も生まれなかった。地形的にも人は流動しにくかった。そうした条件下では社会も小さなグループに分かれざるをえなかったので、強大な集権国家が誕生しにくくもあった。

というような検証、分析を、あらゆる地域で、あらゆる観点から追い求めていったのが本書であるが、どんなに丁寧に論及しても、一万三〇〇〇年を網羅することは不可能である。という意味で、今後さらに研究を深めていきたい、と最後には締めくくられている。

子どもの頃、ナチスのホロコーストを知ってその極悪非道さに震え上がり、そんな悪人がこの世には存在するのだ、とヒトラーの顔写真を見るだけで震え上がったものだった。が、実は新大陸でヨーロッパ人は現地部族を次々と銃で虐殺し、幾つもの部族を滅亡させていた。人間は、歴史的に何度でも自分たちより劣ると信じた人種や部族を虐殺してきたのだ、と改めて思い知った。

狩猟経済の中で、ものを貯蓄することを覚えなければ、人は幸福に穏やかに暮らしていけたのだとしたら。小さな地域集団の中で暮らしている限りにおいて、殺し合いや争いは大きなものにならずに済んでいたのだとしたら。人により貧富の差が現代ほどまでに大きなものになり得なかったのだとしたら。文明とは、進歩とは、一体何だろう、幸福とは何だろう、という根源的な問いに、読みながら何度も立ち戻ってしまった。

人類の歴史を振り返ることは、これからを生きる私たちの大いなる教訓となる。より良き未来を得るための大事な勉強である。見たくないものは見ずに、誇りを持てる部分だけを覚えていこうなどというみみっちい考えではなく、あらゆるものをあらゆる角度から見据えることで、やっとわかりかけるものがある。だとしても、まだわからないことだらけだというのに。とつくづく思う私である。

引用は「銃・病原菌・鉄」ジャレド・ダイアモンド より)

2017/10/13