逝きし世の面影

逝きし世の面影

2021年7月24日

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「逝きし世の面影」 渡辺京二 平凡社

「女子大生、渡辺京二に会いに行く」のきっかけとなった渡辺京二さんの著作です。この人の本は初めて読んだし、分厚くて手ごわかったけど、面白い本でした。

鎖国から解けたばかりの日本を訪れた外国人の書籍を調べまくって、当時の日本の様子を描き、そこから失われてしまった日本のある時期の文化を浮き上がらせています。

私もイザベラ・バードや、あと誰だったっけか、その頃の外国人の日本旅行記を読んだことがあって、それはそれは面白いと感じたものでした。自分が今住んでいるこの場所を、全く違う目で見られるのが新鮮・・・と、たしか宮田珠己もそんなことを何処かで書いていたような。

渡辺京二さんも、全く先入観なしに外側から見た記録という意味では、文化人類学的にはむしろより正しい日本の姿がわかる、と述べていました。

日本という国は、その当時、陽気な人々のいる、子どもをとても大事にする、庶民に民主的ともいうべき自由がある、幸福にあふれた国だったようなのです。支配階級の人々はむしろ不自由で不幸せそうで、被支配階級であるはずの人々のほうがのびのびと生きている、とたくさんの外国人が記録に残しています。たとえば、イギリス人は、自国の下級階層が、貧困と苦痛と不満の中で生き、子どもたちも労働にあえいでいることを振り返り、日本ではどこへ行っても笑顔の子どもが楽しく遊び、大人がそれを嬉しそうに見ていて、たとえ貧しくとも、食べることに事欠くほどではないことに感銘を受けています。

もちろん、文明にはダークサイドというものがあり、困窮し虐げられる人々もいただろうけれど、日本の奥地まで入り込んでも、暖かく礼儀正しく誠実な人々があふれているこの国は驚くべき楽園であると多くの外国人が記録している、そのこともまた確かである、と著者は繰り返し述べています。

人々の陽気さ、簡素さと豊かさ、礼節、労働、自由、性、女性、子ども、風景、生類、信仰、心のあり方。さまざまな視点から、たくさんの記録が分析され、説明されていて、とても興味深いものがあります。

支配階層と被支配階層が、あまりにも世界がはっきりと分かれているがために、むしろ被支配階層は、のびのびと自分たちの世界だけで生きていけた、という指摘は、今まで私の持っていた歴史観とはあまりに違うので、なんだか楽しくなってしまいました。

もちろん、これは歴史の一面にすぎないでしょう。でも、こんな明るい世界もあったのだと思うと、気持ちが軽くなります。母子関係、親子関係が入り組み、アダルトチルドレンや毒になる親というワードが飛び交うこの国が、かつては子どもの楽園であったということをもう一度考えなおしてみたくなります。

2013/1/23