金魚のひらひら

金魚のひらひら

2021年7月24日

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「金魚のひらひら」 中野翠 毎日新聞社

私はいったい何を望んでいるんだろう、何を欲しがっているんだろう、と、少し考えてしまった。毎年楽しみに読んでいる中野翠さんの本。読むのを忘れていたなあ、と「ごきげんタコ手帖」を読んで思った。あの日以降を、中野さんはどんなふうに書いているんだろう、と思っていたのだ。

2011年の中野さんが、この本には載っている。そうだ、彼女はその中で日々を生きていた。毎日、彼女の生活を、彼女は送っていた。

震災が起きたから、原発事故が起きたから、価値観が崩壊して、根本からものごとを考えなおすしかない・・というわけではない。中野さんは、震災が起きようと、原発事故が起きようと、それまでの彼女のあり方のなかで、彼女の価値観のなかで、淡々と事実を受け止め、できるようにできることをして、生活していた。

そうなんだよねえ。私は、あの頃の日々を、思い出してしまった。テレビをつけると、とんでもない現実がある。ネットで情報を得ると、大変なことが起きている。そして、私は何かをしなければならないのではないか、と、いても立ってもいられなくなる。

ところが、ひとたび、そうしたメディアを離れると関西の生活は、あまり変わらない。その時、おちびは小6で、卒業式の準備に余念がなかった。卒業記念遠足も、どうしようか・・と言いつつ、実行された。それぞれバラバラの学校にいくから、とママ友たちのランチ会も幾つか行われた。

それは、奇妙な現実だった。何も変わらないのに、徹底的に変わってしまった、という意識だけがある。焦りがあるのに、当たり前の生活がある。放射線に怯え、関東の身内に危険を説いても、聞き流される。できる限りの募金をし、送れるものを送っても、何かができたという実感は全く、ない。とりあえず、私はいつもの生活をしながら、できることを探してするしかない、と最終的には思うしかなかった。それ以上、できることもなかった。

中野さんも、そんな感じだったのかもしれない。ところどころに、色々な思いが吐露されながらも、いつもと同じようなエッセイが続く。それが返って現実感があるような、それでいて、どこか空虚なような。

思いがけないところで、彼女が突然、タガが外れたように泣いてしまう場面がある。それが、なんだか分かるのだ。どのように、感情を持てばいいのかすらわからない日々。どのように気持ちを保てばいいのかわからない生活。それが返って、よくわかってしまった。

毎年、彼女の本を読んでは、読みたい本をリストアップするのが常だった。今回も、何冊か読みたい本を見つけた。

それから。ミッキーロークのインタビュー記事の話が興味深かった。ミッキー・ロークは、少年時代、継父から虐待を受けていたという。自分より弟のほうがさらにいじめられていたという。その弟は、数年前に亡くなった。

そのインタビューを受ける俳優は、最後にかならず同じ質問を受けるという。それは「もし天国に召されたら神様になんと言ってもらいたいか?」というものだそうだ。ミッキー・ロークは「弟さんはそちら、女たちはあちら」だって。

さて。私は同じ質問を受けたらどう答えるだろうか、としばらく考えた。そうだな。「大丈夫。あなたの家族は今までもこれからも、ずっと幸せです。」がいいな、と思った。

2012/9/18