飼い喰い

飼い喰い

2021年7月24日

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「買い喰い 三匹の豚とわたし 内澤旬子 岩波書店

少し前、「探偵!ナイトスクープ」で、縁日で買い求めたヒヨコが立派な鶏になってしまったら、息子たちが全く世話をしなくなったという話題が取り上げられていた。大きくなった鶏の世話を毎日するのに疲れた母親が、いっそ鶏たちを潰して食べてしまおうと思うから、探偵さん、手伝ってください、というのが依頼の内容であった。

ナイトスクープの探偵は、鶏を屠殺する業者(を装ったスタッフ)を連れて家に乗り込み、鶏を食べてしまうぞと脅して兄弟を改心させ、毎日自分たちが世話をすると誓わせた。そして、鶏は命拾いしたのだった。それを見ている間中、我々夫婦がどうしていたかというと、「食っちゃえ、食っちゃえ、本当に食っちゃえ!」とテレビ画面に向かって叫んでいたのだ。

いや、本当に食っちゃえばいいと思ったんだよね。自分たちが世話をしなかった鶏がどんな運命をたどるのか、そして、生命を食べるということがどういうことであるのかを、この際、しっかりと胸に刻めばいいと本気で思ったんだよね。番組はそうは進まなかったし、それが世間にとってあらまほしい方向性だったのだろうとは思うのだけれど。

生命を食べるということを、私たちは日頃ほとんど意識していない。スーパーで買い求める肉は、きれいにスライスされパック詰めされていて、それが少し前までは生きていたケモノの一部だったなんてことは、全く感じさせてくれない。でも、それは確かに一つの命だったんだよ。

内澤旬子は、「世界屠畜紀行」で世界中の屠殺場をルポして回った人だ。生命が肉の塊になるまでの行程を見て回っているうちに、自分自身で動物を育て、それを屠殺して肉にして食するまでを体験したいと強く考えるようになり、それを本当に実行した。その記録が、この本である。千葉県の奥地に家を借り、飼育場を用意し、生まれたての豚を三頭自力で育て上げ、屠殺場に送り込んで、一匹まるごとをみんなで食す会を開く。それを、彼女はやり遂げたのだ。

三頭の豚に夢、秀、伸という名前をつけ、餌をやり、世話をし、一緒に遊び、情を通わせ、そしてそれを屠殺場に送る。このまま飼い続けてしまおうか、とか、せめて雌には出産を体験させたい、という迷いもあったようだが、最後は心を決め、三頭を屠殺場へ送って、彼らが肉の塊になるまでをもらさず見届けた。

彼女をサポートする様々な立場の人は、名前をつけると情が移って殺せなくなる、とか、本当にやり遂げられるのか、とか、そもそも技術的体力的に無理である、とかたくさん心配もし、援助や助力もしてくれた。周囲の多くの人の助けがあったからこそできたことだが、それをやり遂げた彼女の行動力、好奇心に私は脱帽する。

最初は、あんなに可愛い豚さんたちを食べたりしないで・・・と懇願していた彼女の母が、実際にその肉を食べたあと、残っていたらまたちょうだいね、と言ったのには笑ってしまう。それが人間というものだよね、とも思う。

私は、彼女が豚たちを殺すことを逡巡した後、やっぱり食べようときっぱりと決意する心の動きがよくわかる。私も、きっとそうするだろうと思う。豚を飼ってもいないくせに言えることじゃないけどさ。それが非人間的だとか、かわいそうだとか、残酷だとか、そんなふうには全く考えないし考えられない。生きるとはそういうことだと私は思うのだ。

本当にやり遂げるということの力を私は感じる。内澤さんは、思いついたら、やらずにはおられない人であり、やってしまう人なのだ。そこに私は強い敬意を感じる。

この本には、彼女の決意と行動力とエネルギーがあふれている。だから、一気に読める。でも、私が一番印象的だったのはそんなことじゃなくて、実は内澤さんてば、とんでもなく美人、それも正統派のモデルさんみたいな美人だったのね、ということだ。豚の髑髏とともに写っている写真は、驚くほど美しかった。

2013/4/27