106 いとうせいこう 講談社
いとうせいこうが、ハイチ、ギリシャ、フィリピン、ウガンダの「国境なき医師団」に取材に行った記録を読んだのは、もう七年も前のことだった。以来、ささやかながら「国境なき医師団」に寄付を続けている。関連本は、それ以外にもう二冊あると知ったのは最近。そのうちの一冊を読んだ。今回は、バングラディシュにあるミャンマーからの難民受け入れ先、世界一広大なロヒンギャ難民キャンプである。
ロヒンギャはミャンマーに住みながら国籍すら与えられていなかった少数民族である。以前から差別迫害の対象であったが、とりわけ2017年以降、ミャンマー軍による虐殺が起き、大勢が国外に避難した。ふるさとも財産も文化も奪われた人々の多くが今暮らしているのがバングラディシュロヒンギャ難民キャンプである。
ウガンダだったかスーダンだったか、といとうせいこうは書く。「国境なき医師団」の病院を見に行った帰り、彼の乗った車は検問所で国連PKOのチェックを受けた。右へ行けば国連(UN)やユニセフ、交連難民高等弁務官事務所、左に行けば人道主義者の基地という表示がある。事実、左に行けばセーブ・ザ・チルドレンが駐在し、プラン・インターナショナルも基地を置き、他にも様々な人道団体がスタッフを送り込み、一番奥には国境なき医師団のプレハブオフィスがあった。思えば彼ら人道支援団体は国連とともにあらゆる国のあらゆる僻地にいた。どれほど疲弊し、破壊され、人々が隠れて見えない場所にも彼らは車を走らせ、にわか造りの拠点を持っていた。まさかと思うような場所にWFP(世界食糧計画)の旗がひっそりはためいてもいた。つまり、世界はすべて国家によって分割されているわけではない、と彼は理解した。「世界は国家と、国連と、人道支援団体によって何とかモザイク状に成り立っている」と。
このエピソードに私もまたはっとした。日々平穏に当たり前に日本という国で日常をむさぼっている私だが、実は、世界は踏みにじられ、破壊され、貶められた人に満ちている。そして、そういう人たちに寄り添い、支え、何とかしようと奮闘する人たちもたくさんいて、彼らは自分が必要とされる場所にいつだって飛んで行って、できることをしている。世界を隙間なく占有しているつもりになっている国家がいい気になって互いに争い合っている隙間には、そんな人たちがいる。そのことを忘れてはいけないし、せめて私が立つべきなのは、隙間にいる人たちへの支援の立場だ。
ナチスがユダヤ人を虐殺し、そのユダヤ人が今度はガザで虐殺をする。民衆を踏みにじる軍事政権に対抗しようとするアウンサンスー・チーはロヒンギャを黙殺する。満州を開拓すると移住した日本人は現地に住む人々を追い出して土地と家を奪い、戦争に負けると今度は追い出された現地人から襲撃を受ける。そこから守ってもらうために開拓団は若い娘をソ連軍に差し出し、その事実をもって開拓団幹部が、帰国後も彼女たちを差別、侮辱する。憎しみは連鎖し、弱いものは常に虐げられる。けれど、それを乗り越えて、何とか支援し助け、共に生きようとする人たちもいる。必ずいる。いったいどうしたら世の中はもっと平和に幸せになれるのだろう。
「国境なき医師団」はその一つの回答を身をもって見せようとする組織である。どんな人も、国籍や思想信条を問わず、けがや病気の人を診療し、治療を施し、メンタルヘルスにも力を入れる。目の前にいる傷ついた人を、とにかく一人でも助けようとする。子どもを産ませようとする。これ以上傷つかないようにしようとする。
世界中の様々な言語の、文化の、肌の色の人たちがみな同じ思いで集まって、それぞれにできることをしようとしている。その姿を見せられるだけで、私は胸が痛くなり、熱くなる。人が互いを大事に思うということは、こんなにもシンプルなことなのに。なぜまだ戦争は起き続けるのだろう。人は戦い続けるのだろう。
多くの人に読んでほしい本だと思った。
