「輝ける闇」

「輝ける闇」

2021年7月24日

「輝ける闇」開高健(新潮社)

角田光代さんが「水曜日の神さま」(幻戯社)で感想を書いていて、猛烈に読みたくなった本。
琵琶湖への旅の合間合間に読み進めて、いやあ、現実との対比が。

開高健さんは、釣りモノばっかり読んでいる。ベトナム従軍の履歴は知っていたけれど、なんとなく避けていたなあ。
ついに、読んでしまった。

ベトコンに協力した少年が銃殺されるシーンが、余りにも生々しくて、ひどく印象的。というより、こういう場面に出会いたくなくて、私は今まで読んでいなかったのだわ、と思う。逃げちゃいけないのかもしれない。しれないけど、私は怖い。

銃殺を、楽しい見世物でも見るように良い場所を求める笑顔の少女たちも出てくる。ああいうものを観たがるのは、案外、女子供が多いものだよ、なんてセリフもある。そうなのか。なぜなのか。

ひどくリアルな銃殺シーンが二つ続いたあとに、主人公は、血の滴るようなステーキを食べる。赤い肉、滴る肉汁。でも、喉も胸もなんの抵抗もなくそれを咀嚼し飲み込み、味わう。
ゆるやかな日常と、とんでもなく恐ろしい現実が同時に起きていて、それに、人は慣れる。受け入れる。

私はこれを読みながら、二人の小さな子供を部屋にとじこめて、粘着テープで出口を止め、放置していた年若い女性のことをなんども思い出してしまった。考えるだけで、胸が苦しくなり、気分が悪くなり、吐き気さえ感じるのに。その一方で、私はうなぎを味わい、湖水ではしゃぎ、マッサージチェアでくつろいでいた。その間には、何も無い。同じ時間、陸続きの場所で、それは起きている。

私はどう受け止めるのかなあ。後ろめたさも後悔も焦燥感もなく、今を楽しむこと、打ちのめされることを同時にやっている私という人間は、いったい何なんだ、とぼんやり考える。

高校時代、同級生が線路に飛び込んだと聞いたその日に、みんなで笑いながらお弁当を食べた、その事を思い出す。
全然親しい子じゃなかったけど、そして、私も笑いながらお弁当を食べたのだけど、食べながら、ああ、私、今、笑って食べてるんだ、生きてるってそういう事で、死んじゃうってそういう事なんだ、と強烈に思っていた。それが忘れられない。

自分を責めるとか、自戒する気持ちもない。
ただ、生きてることと死んでしまうことのコントラストを、明瞭に感じてしまっただけ。

輝ける闇。
生きることは、輝く闇なのか。

怖い本だった。

2010/8/9