かなわない

かなわない

2021年7月24日

65

「かなわない」植本一子 タバブックス

図書館に予約してあったんだけど、いつ、どんなつもりで予約したのか、そもそもこの作者がどんな人で、これがどんな本なのかも全く覚えておらず、何の先入観もなしに読みだしたら、ただひたすらだらだらした日記で、一体何なんだ?と一度は読み通すのを断念しかけた。それから、割とザーッと目を通す程度に読み進めてみたら、おお、そうか、そういうことで書評かなんかで知って読みたくなったのだな、とやや思い当たるに至った。

作者はわりに若い写真家で、かなり年上の夫と結婚して、子育てに振り回されてイライラしたり、夫とは別に好きな人ができてごちゃごちゃしたり、それで離婚を申し出ても夫にいなされたり。そんな中で、安田弘之という漫画家のネットを通してのカウセリングを受け、自分の生き辛さの原因はアダルトチルドレンとか共依存というところにあるのだと気がつき始める。そんな経過が日記の中につらつらと書かれていて、そのまま、終わっている。

たまたま先日、機会があって、「母は娘の人生を支配する」「愛すべき娘たち」についての自分のブログを読み返して、そうか、こんなことを考えていたなあ、なんてちょっと遠い目になったのだが、そこに近いテーマの本であった。つまり、子育てを通して、女性はもう一度、「自分がどう育てられたか」に直面せざるを得ない場面がある、ということと、そこで、今までなんとか隠したり抑えたりしていた親との関係性における問題が再度噴出してしまい、うっかりするとそれに支配されてしまう場合もある、ということだ。

この本の作者も、そうした問題に心を支配され、打ちのめされて、自分で自分をコントロールできなくなっている。それをまた、赤裸々に正直に書いているので、これにひどく違和感や嫌悪感を抱く人もいれば、逆に、なんて正直に書いてくれたんだ!と感動してしまう人もいると想像できる。私はと言えば、そんなこともあったなあ、と思うほどにおばちゃんになっている自分に気がつくというトホホな感想をもったのであるが。

子育ての真っ最中は、思うように時間も自由もなくて、そんな中で私みたいな寂しがりのおしゃべりクソ野郎(!)は誰かと言葉をかわし合うことに飢えていて、だから、初期のパソコン通信から始まって、いろいろな子育てサイトや掲示板に出入りして、たくさんの子育て仲間と言葉をかわしあった。そこでつくづくと思った。この世は悩みに満ちている。そして、その悩みの多くは、実は「自分を認めることができない」「自分を認めてもらえない」ことに根付いていた。不安も、不満も、焦燥感も、妬みも、怒りも、すべて「私を認めてもらえない」欠乏感から来ているように感じられた。

母親というのは、子どもが生まれたその時から、その子を認め、愛してやる第一義的な存在になる宿命がある。だから、「認めてもらえない欠乏感」の根源にはどうしても母親が介在してしまう。母親となった女性は、自分の欠乏感、不全感に悩みつつ、自分が我が子に新たな欠乏感と不全感を与える存在であることにさらに打ちのめされてしまう。真面目であればあるほど、だ。これは結構つらいよ。

自分の中にある、そういう思いに気づいてしまった人は、きっとこの作品の中に他人事ではない何かを見つけてしまうんだろう。そもそも最初からそんなことを考えもしないで済んだ人は、何言ってるんだ、この作者ちょっとおかしいんじゃないかしら、と思うかもしれない。どっちもわかるし、どっちも間違ってない。

今となっては、母親が何もかも責任をひとりで背負わされるのは酷すぎるよなあ、と私は思う。我が子を支配する毒親にはなりたくないし、そうやって依存し合う親子関係は不毛だ。でも、自分が育てられたのと同じように育ててしまうところは誰にでもあって、そういった出来上がった環からどうやって成長し、気づき、脱していくかは、それぞれの独立した一人ひとりの人間の責任でもある。私は、我が子を完璧に育てた良い母だったとはま~ったく思っていないが、でも、力の限りよく頑張った、とは思っている。手を抜いたとしても、抜く程度の実力しか持ち合わせていなかった私である。これが私の限界であり、ご不満は重々承知しておりますが、後はご自分たちでなんとか頑張ってください、そのために私にご不満があったのならごめんなさいね、というしかないと思っている。

・・・・なんて考えて、ちょっとそれでもずしーんと心が重くなった本ではあった。

2017/7/16