がん患者学

がん患者学

2021年7月24日

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「がん患者学 ⅠⅡⅢ」柳原和子 中公文庫

「百万回の永訣」を読んで、これを読もうと思った。順番としては本当は逆なのだ。この本が先にあって、あとから「百万回の永訣」が書かれている。

三分冊になった文庫。一巻から順に、長期生存者たちへのインタビュー、専門家との対話、闘病記、患者600人へのアンケートなど。

読み終えて「患者学」というタイトルの意味に改めて気づく。少し前までは、がんを本人に告知することすらタブーだったこの国では、医師ががんという病気、病巣と戦うことはあっても、患者の意思、人生、感情を見つめることは困難だったのかもしれない。がんを研究するものは、病巣をいかに切り取り、抑え、縮小するかということばかり考えてきた。その一方で患者は医師の言いなりになっているふりをしつつ、代替治療や食事療法などに救いを求め続けた。両者の間にある越えがたい溝は、愕然とするほど大きい。

患者を生きるということ、がん患者として日々を生きることを、ここまで丁寧に真摯に追った本はないだろう。それは著者が自らも患者を生きたからこそ可能だったのかもしれない。

それにしても、すべての治療を最終的に拒否し、末期だと言われながら長期生存している人がこれほどいるとは意外だった。もちろん、全体の患者数からすればごく僅かな人々なのだろうけれど。

がんは指紋のように個別個性的な病気であり、ある人に効いた療法が、別の人に効くとは限らない。どんな名医も、それが正しい治療法であると断言することはできない。そして、正解が何だったのかは永遠にわからない。

私たちは(という言葉に語弊があるのなら、私は、と言い換えてもいいが)物事をつい善悪の価値判断で決めようとするところがある。抗がん剤を進める医師、あるいはそれを断罪する医師を、正義の味方かはたまた売名行為の悪人か判断したくなる。けれど、それはきっと違っている。それは善悪などで判断できることではない。強いて言うのなら適否で判断すべきなのだが、その適否も誰にもほんとうにはわからないままなのだ。

いろいろな人生があり、色々な生き方があるように、私たちはがんという病気に対して、どう立ち向かっていくかを自分で真剣に考え、諦めずに医師とも対話を重ねるしかないのだろう。どんなふうに生きたいのか、どんなふうに死にたいのか。怖がらずに真正面から真剣に考えるしかない。

2013/7/9