ぼけ日和

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132 矢部太郎 かんき出版

もうすぐ90歳になる母が矢部太郎のファンである。この母、そもそもが、私の子ども時代、漫画を禁止した人である。漫画なんてくだらないものだ、と頭から信じ込んでいたそうだ。そんな母が何年か前に矢部太郎の「大家さんと僕」を読んで感心したという。漫画っていいものね、と今頃になって言う。以来、矢部太郎の新作はできるだけ読むというので、この本をお中元代わりに実家に届けてみた。

認知症と介護に関するマンガである。そんな本を90歳に読ませていいのだろうか、という逡巡も多少はあったのだが、母は楽しく読んだ。思えば、父が亡くなる前の数年間は、母による老々介護の日々であった。父は明らかに言動がおかしく、認知症真っただ中にあったのに、母は父がおかしいとはあんまり思わなかったらしい。父に言われたことをそのまま受け取り、なんだかどんどん大変になると思いながら、でも、それをどうしたらいいかもよく考えず、ただただ毎日を送っていた。どうにかしなければいけない、このままでは共倒れだと考えた私と姉で手はずを整え、徐々に福祉の世話になる頻度を増やしていったのだが、母自体はなぜ父をデイサービスに行かせなければならないのか、ショートステイに行かせねばならないのか、かわいそうでならぬという立場であった。最終的にグループホームに入所させる決断も私と姉がしたのだが、母は、子どもたちがそういうのだから仕方がないという立場で、それが必要だという自分自身の判断はどこにもなかった。その頃には、母も疲労で一時入院せねばならないほどであったというのに。なんというか、現状認識が欠落していたのだ。

この漫画を読みながら、母はしみじみと「お父さんは本当に認知症だったのねえ、それも随分前から。」という。一緒にいる人ほど認知症に気が付きにくいというが、本当にそうなのだ。父は、最後には母が誰なのかもわからなくなって「妹か?」と尋ねたという。「悲しかったわ」と母は言う。「私、黙って笑っていただけだったんだけど、あの時、お嫁さんよ、妻よ、と教えてあげればよかったのね。」という。わからないことは、何度でも教えてあげればいい、と、この漫画に書かれているのだ。「もっと前にこの漫画を読んでいたら、わかったことがたくさんあったのにねえ」と。

徐々にぼけていく家族を、みんなでどう支えるか、どう介護していくか。様々な知恵や知識や気持ちの持ちよう、介護される側の思いなどが温かく描かれている漫画である。「こんなに大事なことを、どうして誰も教えてくれなかったのかしら。」と最初の方に書かれているが、本当にそうだと思う。

誰でも年は取る。いつか、ほける日も来る。だから、みんなが知っている方がいい。そんな大事なことが描かれている一冊である。