島へんろの記

島へんろの記

2021年5月2日

22 内澤旬子 光文社

内澤旬子。新刊が出たらとりあえず、読む作家の一人である。小屋を借り、子豚を三匹自力で飼育して屠殺し、食べるまでを実体験して本を書く(「飼い食い 三匹の豚とわたし」角川文庫)とか、冴えない中年のおじさんたちにスーツを見立ててかっこよく仕上げてやる(「着せる女」本の雑誌社)とか、東京からいきなり小豆島に移住しちゃう(「漂うままに島に着き」朝日文庫)とか、なかなかユニークな体験記を書く人である。

今回は、小豆島でのお遍路である。四国八十八か所と同じように小豆島にも八十八箇所の霊場がある。小豆島に移住したとはいえ、まだまだ住処の周辺しか土地勘がなく、また、若い頃に仏教に傾倒した時期もあって、今は無宗教ながら、自分なりの巡礼をしてみたい、という気持ちがあったという。

日々の生活を送りながら、少しずつ、それこそ半日ずついくつかの霊場を回るというやり方で、長い期間かけてお遍路は行われた。結構な方向音痴である上に、道標などが少なく、道も荒れている場合が多く、迷ったり、喉の乾きに困ったり、困難を極めながらの巡礼であった。乳がんサバイバーである作者は、お遍路の最中にがん仲間の友人を失ったり、ストーカー被害にあって加害者逮捕、裁判に出頭するなどの騒ぎもあり、ヤギも数等飼い育てながらと大忙しであった。希死念慮のようなものもかすかに抱えていたことが垣間見える。が、お遍路を通して、亡くした友人への思いや様々な煩悩を、いつか忘れている、気にならなくなっていることに気がついたという。救われる、悟りを開くと言うよりは、気にならなくなる。ああ、そうだろうなあ、と思った。悩みというのは、解決すると言うよりは、受け入れる、諦める、というところに収めどころがあるものが多いのだ。ただひたすらに歩き続けることで、そこに到達したというのは非常に説得力があるものだった。

小豆島というのは様々な顔を持つばしょである。私も一度訪れたことがあるのだが、まだ上っ面しか見ていなかったのだなあ、とつくづく思う。そういえば映画「八日目の蝉」で見た小豆島の風景は、とても美しかった。そのロケ地周辺にも霊場はあるようだ。

ああ、いつか小豆島にもまた行ってみなければ。お遍路、ちょっと気になるぞ。しかし、歩く体力があるうちに、また旅ができるときが来るのだろうか。なんか不安だわ。