まなざし

2021年7月24日

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「まなざし」鶴見俊輔 藤原書店

鶴見俊輔が気になってならない。業績、著作などをどれだけ知っているのか、と問われると甚だ心もとないのだが、彼の言葉に触れるたびに、我が琴線に触れるものを感じる。なにか生理的なところに響いてくるのだ。

この本には、高野長英、安場保和、後藤新平、鶴見祐輔といった、自分のルーツにある人々(敬意もあれば複雑な感情もある人たち)について、あるいは、石牟礼道子、金時鐘、吉川幸次郎、小田実ら、戦後を共に生きた先人・友人たちへの思い、そして何よりも敬愛してやまない姉、鶴見和子への文章が収められている。姉に関する最後の文章は、死の一週間前に書かれたものだという。鶴見俊輔の、透き通った心がそのまま現れたような文である。

先に亡くなった姉、鶴見和子の文も寄せられている。それによると、和子はよく「あなたと俊輔さんとは同じお母様ですか?」あるいは「お兄様によろしく」と言われたそうである。つまり、4つ下の俊介のほうが年上に見られ、かつ、二人の描く母像が恐ろしいほどに食い違っているからであるという。

最初の誤解については「俊輔のほうが、わたしよりもはるかに多くのすぐれた仕事をしている」と彼女はきっぱりと書いている。そして、次の誤解については。

母はサムライ気質で、長男は立派に育てあげねば、「ご先祖様に申訳がない」という強烈な責任感を持っていた。(中略)母は弟を深く愛したので、その叱り方は強烈をきわめたのである。子どものわたしの目から見れば、大女の母が、痩せっぽちの小さな男の子を、いじめているとしか映らなかった。そこで、わたしはいつも母に抵抗して、弟を守っているつもりであった。わたしが、弟と喧嘩するゆとりが全くないほどに、母は弟を攻めたてた。
 こうした母の厳しい鍛錬は、俊輔を何度か自殺未遂に追いやった。そうした夜、麻布の家から駿河台の病院に瀕死の弟を連れてゆく車の中の不安な、祈るような気持を、宮城前の松のくろぐろとした影を見ると、今でも鮮やかに思い起こす。

和子は女の子であるが上に、母の過剰な期待を受けず、また父に溺愛されたがゆえに、こうした暗黒もくぐり抜けることはなかった極楽トンボである、と自らを評している。

ここで記された鶴見俊輔と母親との関係は、「赤ん坊の自分を蹴ったり殴ったりした母」として彼自身も何度も語っている。が、姉の目を通して語られると更に壮絶さを増す。俊輔もまた、姉について

彼女が間に入ることなしには、母は私を自殺においこんだと思う。

と語り、

弟として、わたしが彼女に返したことは?
ないと言ってよい。

と断言している。この互いに深く信頼しあい、敬愛し合う兄弟愛を私は心から羨ましく思う。とともに、不幸な親子関係において、姉がどれだけ弟を助けたのかを思うと胸が熱くなる。

私が鶴見俊輔に惹かれるのは、彼のどこまでも自分に正直である態度と誠実さを究極まで貫く精神と、どんな人に対しても公平で対等であり、他者の尊厳に敬意を払うことを絶対に忘れない態度、そして他者の評価に揺るぐことのない自己の価値基準の強さによる。これは、業績と言うよりも、人となりに惹かれているのだな、とはたと気付いたのだが、この気付きが、後の読書につながっていく、とだけここでは書いておく。この続きは、また別の本の話で。

                     (引用は「まなざし」鶴見俊輔 藤原書店 より)

2019/5/1