ゆめはるか吉屋伸子

ゆめはるか吉屋伸子

2021年7月24日

「ゆめはるか吉屋伸子 ー 秋灯(あきともし)机の上の幾山河」
田辺聖子

上下巻、合わせて700ページ以上はあるのではないかしら。大作です。夏の終わり頃から、じわじわと読み進めて、幾度となく頓挫しつつ、ついに読み終わりました。何度、図書館に借り換えに行ったことか。

何しろ、田中正造から始まって、長谷川時雨、田村俊子、小林秀雄、川端康成、林芙美子、様々な人の肖像が、丁寧に描かれつつ、ストーリーはゆったりと進んでいく。戦中、戦後の歴史的背景も、日常をベースに、地に足のついた視点で描かれ、徳川家や平家の話も、大きくスペースを割いて、語られる。

一人の人を描くとは、実はこういうことなのだ、と思う。その人を軸にたくさんの人の人生があり、歴史の流れがあり、作家であるのなら描いた物語がある。その人となりを明らかにしようと思うのなら、どこまででも広がるのが、筋なのだ。それを、田辺聖子さんは、十年近くかけて、やり遂げた。

(この方の杉田久女の評伝も以前に読んだけれど、やはりすばらしいものだった。)

私は、少女小説と呼ばれる作品をあまり読んだことがない。氷室冴子さんが亡くなった時、彼女の作品をほとんど読んでいないことに気づいて、いつか読もうと思いながら、なかなか果たせずにいる。少女小説の流れを追うのなら、最初は吉屋伸子らしい、となんとなく知っていた。それで、大好きな田辺聖子さんの筆で、最初に知ってみたいと思ったのだ。

読みながら、思い出し、気がついたことがいくつかある。
小5のころだったと思う。学校で少し古ぼけた、でも美しい本を見つけて読んだら、それがすばらしく面白かった。そう言って、母に見せたら、「その人の本は、あまり読まないほうがいいわよ」といわれたことがある。誰の書いた何という本なのかすら、忘れてしまった。なぜ、読まないほうがいいのかも尋ねなかったと思う。聞いても、母は答えない人だったし、私にわからない理由で禁止されていることが、他にもたくさんあって、そういうものだと私は思っていたらしい。

どうも、その本は、吉屋伸子の少女小説だったのではないか・・と、この本を読んでいて、私は思った。花物語のひとつだったのではないかな。「いらっしゃるの」「ではなくってよ」などという、友達同士では少し不思議な言い回しと上品な描写をほのかに覚えている。

吉屋伸子が、不当に貶められて評価されていたことが、この本を読むとわかる。読みもしないで、偏見を持って切り捨てる評論家が多くいたことがわかる。田辺聖子さんの、確かな目が、吉屋伸子の才能を、しっかりと掬い上げ、評価し、抱きしめているようで、読んでいて、暖かい思いになる。

それから、やはり小学生のころ、歴史に興味を持ち出した私が、テレビドラマで、徳川家の女性の歴史を追ったドラマを、時々見ていたことも思い出す。あれは、吉屋伸子さんの「徳川の夫人たち」原作のドラマだったのではないだろうか・・。それもまた、題名も覚えていないし、母の好きなNHKでもないので、こっそり見ていたような記憶しかない。

ただ独身を通したこと、女性と同居していたこと、少女小説からデビューしたこと、耽美的な表現を好んだこと、そんなことが、不当な評価の元となっていたことを、残念に思いつつ、この方の作品を、きちんと読んでみたい、と思った。

と、共に、田辺聖子さんの、一人の作家に向かう真摯で誠実な態度に、強く敬意を感じた。

2008/11/1