イサム・ノグチ庭園美術館

ドウス昌代の「イサム・ノグチ」を読んだことがあります。英文学者で詩人の野口米次郎と、アメリカの作家レオニー・ギルモアの間に生まれ、少年期は日本で、成長してのちはアメリカで過ごした方です。どこへ行っても、よそ者であり続けた彼の生涯は、強く心に残る物がありました。

映画にもなったフリーダ・カーロの恋人だったこともあれば、李香蘭・・・山口淑子と夫婦だったこともあります。結構なプレイボーイでもあったんですね。

彼の作った札幌のモエレ沼公園は、とても楽しい場所でした。東京都現代美術館イサム・ノグチ展にも行ったことがあります。彼の作品は、どこか人をわくわくさせる。岡本太郎みたいなところがあるのかもしれません。

そのイサム・ノグチが晩年を過ごした(・・と言っても、彼は定住する人ではなく、N・Yと、イタリアと、日本を行ったり来たりしていたそうですが)香川県高松市牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館に行ってきました。ここは、事前に往復はがきで申し込みをして、決められた時間に訪問する形で公開されている場所です。

イサム・ノグチが制作活動を行っていたアトリエ、屋外の「まる」と呼ばれる場所、展示場、住居、庭園が保存されています。「まる」の中に残された作品も、配置や向きなどをすべてイサム・ノグチが決め、いつ自分が死んでもこれが残るように・・と考えていたそうです。そういう意味で、その場所全てが、彼の作品となっています。

周囲の緑が美しく、静かで何もない田舎の片隅に、たくさんの石の作品が配置され、気持ちの良い空間が出来上がっています。
古い蔵を移築した建物の中に、東京でも見た「エナジー・ヴォイド」という大きな石の作品が配置されていて、東京で見た時とはまた違った存在感に圧倒されます。

ただの石を削っただけのようにみえる作品も、見るごとに、なんだかいろいろなことを考え出せて、想像力がかきたてられて、おちびも全然退屈しません。あっちから、こっちから眺めては、いろんなことを言います。

アトリエと住居の間に、小高い丘を作って(これも、イサムの指示で土を盛ったそうです。)幾つかの作品が配置されています。かなり高い丘ですが、頑張って登ると、素晴らしい景色が目の前に広がります。

下から見上げたら、まあるい丘の上に、石の作品がぽん、とおかれて、おや、これは・・・夫と顔を見合わせて「おっぱいだ!」と笑っちゃいました。まさに、そのものって感じです。
この丸い丘は、ぐるりと回って登ると、、それでもきつい坂ではありますが、登れる程度の道になっています。が、おちびは、斜面に取り付いて、がしがしと急角度で登り直します。無茶苦茶大変そうですが、すげーおもしろそう。この丘を見た子どもは、きっと、みんな、こんな風に登りたくなるだろうと思います。イサムも、それを考えてたんじゃないかって、私には思えます。

モエレ沼公園もそうでしたけど、イサムは、子供がわくわくするような、遊んで楽しめるようなモノを作るのが好きでした。そういう少年みたいな心をずっと持っていた人なんだと思います。そして、それは、作ったものを通して、絶対に人に伝わります。

日本でも、アメリカでも、余所者として生きるしかなかった、ふるさとを持たなかった、安心する場所を見つけられなかったかもしれないイサム・ノグチの、寂しい、悲しい心も、こんな楽しいワクワクする作品を作り出せたんだ、としみじみ思いました。

ところで、この旅で、私は初めて四国に足を踏み入れました。これで、沖縄、九州、四国、本州、北海道、すべて回ったわ!!と喜んでおります。香川は、平らな土地に、いきなり山がぼん、ぼん、とあって、とても不思議な気がしました。

旅は、まだ続きます。

2010/7/2