ガサコ伝説

ガサコ伝説

2021年7月24日

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「ガサコ伝説 「百恵の時代」の仕掛け人」長田美穂 新潮社

 

その昔、「月刊平凡」という雑誌があった。芸能界の様々な話題とグラビアが載り、それに歌本の付録がついていた。テレビの歌番組は次々と歌手が歌い続け、今のバラエティ番組のように一人ひとりが語る場面はなかったし、ネットもなかったから、いわゆるスターたちの日々の姿や言葉を知るのにこういった雑誌は欠かせない情報源であった。「月刊平凡」はライバル雑誌「明星」とともに大いなる売上のある雑誌であった。
 
と言っても、実は私はほとんど「平凡」を読んだことはない。沢田研二に夢中になり、その後の新御三家や中3トリオなどを熱心に見たのではあるが、何しろマンガ本すら禁止された家庭において、芸能雑誌など持ち込めるわけもなかった。と言っても、なんだかんだで一度は眺めたことがあって、歌本にちゃんと歌詞が載っていることに感動したものだ。何しろ私は歌謡番組やラジオを聞きながら、必死に歌詞をメモしていたのだから。オンタイムで読めたら、何を感じたかなあ、と思わずにはいられない。
 
そんな「月刊平凡」の名物記者であった「ガサ子」の生涯を描いたのがこの本である。本名は折笠光子。ガサ子という呼称は「折笠」のガサなのか、がさつのガサなのか、諸説ある。アルバイトで月刊平凡に入った彼女は、芸能人の懐に深く入り込み、助け、悩みを聞き、時に休養を共にしながら、他者にはできないグラビア記事を作り続けた。まだ売れだす前の坂本九を発掘し、橋幸夫、ナベプロの渡辺美佐などの心をつかみ、野口五郎を助け、森昌子、山口百恵の母親のような存在となった。
 
そんな大いなる存在でありながら、編集部では、編集員全員のお茶碗を把握して湯呑を温めるところから丁寧にお茶を入れ、男性社員のボタン付けなどをいてやったり雑事をこなし、酒の席や麻雀に付き合い、セクハラ、パワハラをかわしながら仕事一筋に生きたという。年下の写真家と恋愛関係に陥ったが、ずっと結婚せず、癌末期死の直前に籍を入れた。あの頃の女性の生きにくさ、働きにくさを黙って一人で背負って生きてきた人なのだとも思う。
 
当時を知る芸能人や芸能関係者にインタビューをお願いすると、その殆どが「ガサ子のことなら」と快く応じてくれたという。多くの人の心に、助けてくれた、暖かい人という印象を残しながら、無名のまま亡くなった人に光を当てた、興味深い本であった。

2018/5/24